ますは“脱亜論”の稿について。
「革命をおこした国は倨傲になる。……明治の日本人には朝野ともにその意識がつよく、他のアジア人にとって不愉快きわまりないものであったろう。「脱亜論」はその気分の代表的なもので、その意味にかぎっての史的価値は十分にある。
ついでながら、いま湾岸でおこっていることも、公的な物差し(スタンダード)というものと、土着のナショナリズムとの相克の問題である。しかしアメリカ以外にアラブに”脱亜論”を勧めるような”勇気”は、いまの地球上にさほど多くはない。結果が、自国にとって手ひどいことになることを知っているからである」
原稿に同封した白川勝編集長への手紙に、本稿執筆中に明治維新の専門家である元駐日英国大使ヒュー・コータッツィに会い「日本だけが無傷でいようとしている」と言われたと司馬翁は書いている。司馬翁のPKOに対する本音は、これ如何。
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“巴里の廃約”は、
第二巻“汚職”の一年後、90年の金丸訪朝団に際しての稿である。
司馬翁は原稿に同封した白石勝編集長への手紙で「金丸宣言も、おそらくピョンヤンの廃約ということになりましょう」と書いている。その後、日朝交渉の曲折に影響したことは述べるまでもない。
(以上、関川夏央『
司馬遼太郎の「かたち」―「この国のかたち」の十年』を参考にした)
“室町の世”というタイトルの稿は、第五巻まで三つある。多少の重複はあるが、
第四巻・
第五巻は第三巻の続編と考えられる。実力が地方にあり、日本の”くに”(Land)即ち芸術・文化・作法・貨幣経済を生んだ室町時代に対する、司馬翁の思い入れだろうと評者は理解している。
【収録タイトル】
戦国の心/ドイツへの傾斜/社(しゃ)/室町の世/七福神/船/秀吉/岬と山/華/家康以前/洋服/「巴里の廃約」/「脱亜論」/文明の配電盤/平城京/平安遷都/東京遷都/鎌倉/大坂/宋学/小説の言語/甲冑(上)(下)/聖(ひじり)たち/あとがき