フレーゲ、ラッセルに始まり、ウィトゲンシュタインを分岐点として発展してきた、所謂英米の現代哲学、分析哲学はクワインで一つの到達点に達したような気がします。ウィトゲンシュタインは先ず『論理哲学論考』で論理学を武器にした科学、数学の探求(論理実証主義)に火を点け、次に『哲学探究』で日常言語の探求(日常言語学派)に火を点けました。本人は意識していなかったかも知れませんが、これにより英米の哲学界は2つに別れてしまいます。お互いの議論はかみ合わず、どちらが正当な後継者かという兄弟喧嘩の様相を呈していました。そのうち、交流は途絶え、どちらも袋小路に陥ってしまいます。そんな状況で本書の著者クワインが登場します。クワインの議論が秀逸なのは前者の議論をベースにしながら、後者の議論までも取り込んでしまっているところです。彼の「自然化された認識論」が一つの到達点と言っていいかもしれません。
本書は論文集ではなく完結した著作ですから、逆に読みやすいかもしれません。現代哲学において大著というのは珍しいです。
クワイン後といえば、デヴィッドソンとローティーということになるかもしれませんが、デヴィドソンの話はチマチマしてるし、ローティーは逆に話が大きすぎるし、ついて行けません。20世紀の現代哲学っていうのはもう終わっているのかもしれません。そういえば、もう21世紀でしたね。