これがCDだけのリリースだったなら「ああ、久しぶり」で済んだことだと思うんだけど、
例の件があるせいで純粋に聴けないし周りにもまたバイアスがかかってしまってる。
「ビョーキの人、メンヘルの人」って。
まあ、新曲のプロモーションにはセンセーショナルですよね。実際話題になりましたし。
でもこれと「大丈夫であるように」で「きらきら」はやっぱり無理して作っていたんだな、という確信しか残りませんでした。
不安的中どころか、全然明るくなってなんかいなかったんですね。
そして「愛をあげられる大人になりたい」と言っていたのは、
どうやら自分の生活レベルではなく世界の救済というぶっ飛んだ所にあるらしく、
それじゃなんにもできなくて当然だろうと。
冷たいこと言うけど、自惚れだと思う。
ゴミゼロがきっかけで半端に自信がついたせいでもあるかもしれない。
あの情熱は本物だと思うけど、あれがきっかけで手紙が続々届いていて、
それに心を傷めるのが例の原因のひとつらしいけど…なんだかな…。
あの核処理施設がうんぬんとか…明らかにプロ市民の仕業なんですが。
結局ゴミゼロやジュゴンのリリースが結果的に首を絞めてしまっているようです。
世界中がなんたらかんたらのせいで、自分にはなにもできなくて傷つくと言えば聞こえはいいけど
要は自分の不安定を世界の不安定のせいにしてるだけで、
いつまでも大人になれないということでしょう?10歳近い子供がいるというのに。
まだオウムがサブカル扱いだった頃から自分探しや自己啓発が流行りましたが、
そんなの答えなんて出る筈ないんだから大抵の場合は敵を作って憎むだけになるのが末路です。
サリンとか赤軍とかね。
それが自傷癖のある彼女は自分に向かってしまったわけですが。
そんな回り道の果てにどんな答えを出すのかわかりませんが、
もう音楽的には「きらきら」レベルすら難しくなってしまうのではないか、という不安があります。
声が本調子ではないのは仕方ないけど、どうにも集中力に欠けた仕上がりになっているのが残念です。
その分、ある意味久しぶりにスリリングではあるのですが。