各章の目次タイトルは、「人のこころなどわかるはずがない」、「危機の際には生地がでてくる」「『理解ある親』をもつ子はたまらない」、「心の支えがたましいの重荷になる」など格言風に小気味よくまとめてあり、著者の専門家としての豊富な経験から調合された薬効ある文章が読者に語りかける。
また著者は遠藤周作の『生き上手、死に上手』から得られた「呪文」ということばを念頭に置き本書を手がけたという。「正しいとか正しくないとか、教えられるというのではなく「呪文」を唱えていると心が収まるのである」と著者は語り、自らも本書目次タイトルの1つを「唱えて」いるそうである。読者は自分の心に残った目次の言葉を選び、自分だけの「呪文」として楽しむことができるかもしれない。こころが少し風邪をひいてしまったなと思う読者や、自分自身の常識や創造性を振りかえってみたい読者には頼りがいのある1冊となるだろう。(青山浩子)
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15、一番生じやすいのは百八十度の変化である
わたしの性格かと考えていたが
どん底から頂点に這い上がったと思うとまたどん底に落ちることがある。
それは良くある事と河合先生に諭された。
27、灯を消すほうがよく見えることがある
高校時代の英語の先生がこんなことを言ったのを覚えている。
「黙ってくれよ、君の声が聞こえないじゃないか。」
まさにそれと同じだ。こころの本当はそこにあるように思う。
34、どっぷりつかったものがほんとうに離れられる
わたしは凝り性だが、飽きっぽいと感じていた。
その理由がわかったように思う。
ほどほどが苦手なため、飽きてしまうのだ。
ほどほどにやるとは結構難しい。
50、のぼせが終わるところに関係がはじまる
結婚を振り返るとまさにそのとおりである。
恋愛時代ののぼせはそれはそれで良かったが
結婚してから関係が始まり
子育てなどを通して次第に夫婦の関係が築かれていく。
すばらしい河合先生の洞察力に感動した。
以上の5章である。
おそらく読む人により心に響く章が異なるであろうが、河合先生もそのつもりで書かれている。
また、時をへだてて読み返せば新たな感動が生まれるだろう。
著者自身も、「毎度のことながら、ここにも正しい答などはどはない。」(p225)とはっきり書いている。
しかし、短絡的に正しい答えを求める人の方が多い。
「決めつけてしまうと、自分の責任が軽くなってしまって、誰かを非難するだけで、ものごとが片づいたような錯覚を起こしてしまう。」(p13)ことの方が多いだろう。新聞の論調を見ればそれがよく分かる。
新聞といえば、「マジメな人は自分の限定した世界の中では!、絶対にマジメなので、確かにそれ以上のことを考える必要もないし、反省する必要もない。マジメな人の無反省さは、鈍感や傲慢《ごうまん》にさえ通じるところがある。」(p60)など、まさに新聞そのものではないか。
「最近は場あたり的な灯を売る人が増えてきた」(p117)もまた同じ。
学校の教師について、「自分は生徒たちとまったく同等の立場で生きている」というまやかしを論破しているが(p190)、生徒と対等であるべきだという論調を振りかざす人は、これを読んでどう思うのだろうか。
時間をかけて、いくつもの面から問題をとらえ、遠くにある灯にたどり着こうとする姿勢を持たなくてはならない人ほど短絡的なのは困ったものだ。
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