本書で紹介しているどの分野も、研究途上で最終結論の出ていない事だらけです。このような場合、複数の学派に分れ、それぞれ異なる説を主張し合うのは、やむを得ないことです。
とかく日本の学問では、欧米から学問を輸入した時、親分が打ち立てた学説や導入した手法をそのまま子分が受け継ぐことが多く、親分に欠けていた視点や考察を見つけ、学説を根本から見直す風潮が乏しい。特に、実験などにより学説を検証できない分野ほど、この傾向が強い。かえって、門外漢の方が、何物にもとらわれず、疑問点や不自然さに気づくものです。
本書の著者は、せっかく第三者の立場に立てたのですから、冷静に論理的に諸説を整理した上で、定説になっているものと、まだそうでないものと、分けながら紹介できたはずですが、論理的考察も不足しているし、整理も不十分です。だから、本がまとまる直前に、取材不足に気づいたのでしょうか?無視したいけど、無視しきれず、うやむやな書き方をしている部分もあります。
例えば、北方のツングース語族と南方のオーストロネシア語族と、どちらが先に日本に入り広まっていたかと言う問題です。日本文化の基底を左右する大きな問題です。P110では、ツングース語族の方が先とする説を紹介し、P120でも著者はこの立場を支持。P258では、この説をくつ返しそうな脳生理学の研究を否定しかかっていますが、じっくり読むと、画像診断装置を使った脳の言語活動の研究は始まったばかりで、まだ、追確認していないだけと分り、うやむやになっています。
言葉の発音は基本的には母から子に伝わるもの。順次さかのぼれば、最も古く日本に広がっていた発音にたどり着くはず。文法や語彙は、人数も少なく、後からやって来たとしても、日本を支配した集団のものが広がるはず。門外漢でも思いつきそうな事ですが、そう考えると、本書の立場とは逆の結論になってしまいそうです。逆の説をとなえる専門家も少なくありません。
評価できるのは、「日本人のルーツ」を探る上で、手掛かりになるものを一覧的に紹介して下さっている点です。