ぼくらの生活はだいたい主に自分の手ののばせるぐるりのことだけで過ぎていくようだが、毎日ニュースで聞いたり観たりするいろんな事件はどう繋がっているのか、ときどき思うこともある。
しかしあまりに理解できない事件などを目の当たりにすると、まったく無関係のものにしか思えないのだが、それでも社会で生きるある意味の不安という影響は与えているだろう。
夫婦,家庭という個的な単位にもさまざまな変化があるものだ。崩壊の瀬戸際もあろうし、そして再生の物語もあるだろう。個の再生とは、ぐるりの社会の再生にも、必ずちいさく繋がるのは歴然だろう。
学生時代からの付き合いのような、どこかにいそうな夫婦の10年。
法廷の被告たちを演じた脇を固めた達者な役者たちも短くても見どころ。全体、映画の見どころは多いが、とにかく夫婦を演じるふたりが実にハマっていて、こと妻の役、木村多江は入り込みすぎて、こちら観客も心配になるほどだ。
彼女自身がこの映画のこの役で女優として再生したかのような話をしていたことをどこかで読んだ記憶があるが、それはそうだろうという納得するものだ。
子どもを亡くしてからの情緒不安定な様子を演じるが、彼女自身が役に入り込みすぎてウツ的な状態だったようだ。
見せ場の一つである、妻が泣きじゃくりながら夫に悲しみの堆積した感情をぶつける場面などは、観ていても圧倒的だ。実際、夫役のリリー・フランキーの話によれば、役に入り込みすぎ、泣きすぎ、台詞が言えなくなるテイクも重ねたようだ。そのリリー・フランキーがとてもやわらかい存在感で受け止めているのが、まさに監督の意図した「ふたりのドキュメンタリー」を成功させていると思える。
それは撮影にも表れていて、実にワンシーンをカメラが長回しで録り続けることが多いから、演じる側も大変だが、出来上がりから感じられる、夫婦の各場面の集中力と緊張感はただならぬもの。初主演のリリー・フランキーが妻の苦悩を受け止めるその場面、元々のプロ役者とはまったく異質と感じるような自然さを、けして途切らすことがないのにも感心する。
監督は自身の前作の世界的な評価の後、自らウツを経験した時間を糧にして、制作に当り「人はどうすれば希望を持てるのか?」と問い、「希望は人と人との間にある」ということに行き当たったという。
その話も当たり前のようでいて、しんどい夫婦関係とか(笑)、その上での夫婦の関係の、水平にも垂直にも広がる天国、地獄の地平を経験し見渡し,世の夫婦が、どうであれ自らも振り返る余韻を持たせる映画になっている。
映画は全体を通し、その夫婦のターニングポイントの「事」そのものはあえて描かず、その事の前後の日々を描くことで、観ていて必要以上な重さを避けられている感じがある。
それが物語の終わりまでに、だんだんと薫ってくる清々しさを残すことになったと感じた。