私が本書を手にした理由も、また本書を人々に広く推薦したいと思う理由も、実は既に本書の巻頭に書かれてある。曰く、
>捕鯨の是非を問う前に、「日本人がこれまでどのようにクジラと関わってきたか」という
>点についての情報があまりにも少なく、また多くの人々に十分な情報が行き渡っていない
−中略−
>今日の捕鯨の有無についての議論は、そのため「可哀想だ」という感情論や、「日本叩き
>だ」というナショナリズムに置き換えられるような極めて底の浅い内容に終始してしまっ
>ている。
至極もっともである。
良識ある人であれば誰でも、安易に「捕鯨反対」や「賛成」を叫ぶ前に、まずは立ち止まって冷静に、我が国の捕鯨と鯨肉食の歴史を学ぶべきだろう。そうすれば、明治後半からの近代捕鯨の以前には、我が国でも西日本を中心とする一部地域以外には鯨肉食の習慣が広まっていなかったことや、とかく「完全利用」が喧伝される我が国の“伝統的な”鯨利用についても、実は古式捕鯨の前期にはもっぱら製油が目的で、欧米の捕鯨と同様、肉や内臓の多くが捨てられていた事を知って、驚くことになるかもしれない。あるいは逆にまた、最近話題のクジラ肉の“横流し”についても、それは「カンダラ」や「シオケドリ」などと呼ばれる、古式捕鯨時代からの風習との関連を考慮すべきものであることにも気づくはずだ。
「賛成」と「反対」との間には無数の、より妥当な回答が埋もれているのである。
ただ本書は決して、捕鯨の是非を論じたものではない。だから本文では、現代日本における捕鯨の是非には一言も触れられていない。ただ淡々と、九州西部海域の古式捕鯨を中心に、我が国における捕鯨と鯨利用との、多様な展開と歴史とが叙述されている。歴史を知った上で将来を選択するのは、読者たる我々の役割であるからだろう。
「賛成」であれ「反対」であれ、我が国の捕鯨に関心を持つのであれば、まずは一読をお奨めしたい。議論は十分な歴史認識をベースに行なわれるべきだからだ。