この巻はいよいよヴィジュアルが充実し、幸多神宮を訪れる高見おじさんとまことたちの夏が、全身で感じられるように生き生きと描かれています。
神社に参拝したかのようなさわやかさ・・・作者の画力に改めて感心しました。
またこの神社で出会う、常世之長鳴鳥でもある、神話で有名な鶏の神使さまは、さすがに貫禄があり、ただ見守ってくれる「見えない友達」ではない、神の世界とこの世界との橋渡しをするような崇高さを感じました。
それにあいまってですが、やはり神使の見えるこの神社の宮司が、もと神主だった高見さんに向かって、神主には2種類あり、「神を信じている者といない者だ」という言葉にはびっくりしました。神主でも信じてなくてもよい? いまさらですが、神使は神とイコールではないのですね。神使が見えても、神さま自体はそのさきの存在・・・その問いと向き合いつづける生き方もあってよい、という宮司さんの言葉に深く考えさせられました。
神さまが友達的であることもたのしい(『かみちゅ』のように)ですし、神使はそばにいても、神さまはやっぱり見えない存在という二段構えもあっていい。そして、若いまことは「銀太郎」とともにいて前者である自分を肯定します。
悟が女の子たちから告白される騒動もあり、一種のカミングアウトもあり・・・
この巻になってテーマや描きかたがずっしりと座り、愛らしい神使との共存だけでなく、「神の次元にうっすら囲まれている少年少女たちの日常」もぶれなくなったような気がします。
「八百万の神さまたちとの向きあいかたも八百万」深いことばです。