内容(「BOOK」データベースより)
空よりも青く、絹よりもつややかなこの小鳥が、どこからやってきたのか、いまでも、わたしにはわかりません。わたしの川の歌にひかれて、ここにくるまで、このかわせみは、長いあいだ、ほうぼう、さまよったにちがいありません。そして、わたしの小さな谷間が、世界でいちばん静かで、いちばん自然のままで、いちばん美しいところだということを、発見すると、さっさと、ここに、すみついてしまったのです。滝から水車小屋へ、水車小屋から滝へと、水面すれすれに、矢のようにまっすぐにとびながら、かわせみは、ときの声をあげました。「ここは、おれの領土だ!おれの漁場だ!ここの主人は、おれだ!」と…。水車小屋の近くに巣をつくっている、ばんや、こがもや、ほかの水鳥たちは、これをきくと、すぐその意味がわかりました。そこで、水鳥たちは、かわせみのマルタンが、くちばしでつついて、追いだしにくるまえに、さっさと、退却していきました。
内容(「MARC」データベースより)
森の、静かな川のほとりに住む夫婦のかわせみ。美しい四季と自然を背景に、そのこまやかで深い情愛、生と死、そして、たえず受けつがれてつづいていく生命を描きます。1965年福音館書店刊を翻訳を見直して復刊。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
フォシェ,リダ
1899~1955。チェコスロバキア・プラハに生まれる。若い頃より、恵まれない立場にいる子ども達への教育にかかわった。そのことを通して、『野うさぎのフルー』や『りすのパナシ』『かわせみのマルタン』のシリーズのもとになる『カストール叢書』の著者ペール・カストールと出会う。のち、彼と結婚し、以後、このシリーズは、夫妻の共同の仕事となった。パリにて他界
ロジャンコフスキー,フェードル
1891~1970。ロシア・ミタワに生まれる。イラストレーター、作家。自然に親しみながら、長じてモスクワ美術学校に学ぶ。1914年から1917年にかけ、陸軍に画家として役した後、ロシア革命の間、ウクライナの子どものための本に挿絵を描き始めた。内戦から逃れてフランスに渡り、パリに身を寄せた。そこで、アメリカの編集者に見出だされ、次いで、リダ・フォシェとの出会いから、『野うさぎのフルー』や『りすのパナシ』『かわせみのマルタン』のシリーズの絵を手がける。コルデコット賞受賞画家
いしい ももこ
1907年、浦和市に生まれる。日本女子大学卒業後、編集者として出版社に勤務。その後、アメリカへ渡り、こどもの本、図書館について学ぶ。帰国後、こどもの本の翻訳家、作家として、戦後まもなくの、わが国児童文学界の草分けのひとりとなる。その功績により、1953年、菊池寛賞受賞。以後、一貫して水準の高い仕事を続ける。自宅の一室を開放して、近隣の子どもたちのために、「かつら文庫」を、長年、主宰してきた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1899~1955。チェコスロバキア・プラハに生まれる。若い頃より、恵まれない立場にいる子ども達への教育にかかわった。そのことを通して、『野うさぎのフルー』や『りすのパナシ』『かわせみのマルタン』のシリーズのもとになる『カストール叢書』の著者ペール・カストールと出会う。のち、彼と結婚し、以後、このシリーズは、夫妻の共同の仕事となった。パリにて他界
ロジャンコフスキー,フェードル
1891~1970。ロシア・ミタワに生まれる。イラストレーター、作家。自然に親しみながら、長じてモスクワ美術学校に学ぶ。1914年から1917年にかけ、陸軍に画家として役した後、ロシア革命の間、ウクライナの子どものための本に挿絵を描き始めた。内戦から逃れてフランスに渡り、パリに身を寄せた。そこで、アメリカの編集者に見出だされ、次いで、リダ・フォシェとの出会いから、『野うさぎのフルー』や『りすのパナシ』『かわせみのマルタン』のシリーズの絵を手がける。コルデコット賞受賞画家
いしい ももこ
1907年、浦和市に生まれる。日本女子大学卒業後、編集者として出版社に勤務。その後、アメリカへ渡り、こどもの本、図書館について学ぶ。帰国後、こどもの本の翻訳家、作家として、戦後まもなくの、わが国児童文学界の草分けのひとりとなる。その功績により、1953年、菊池寛賞受賞。以後、一貫して水準の高い仕事を続ける。自宅の一室を開放して、近隣の子どもたちのために、「かつら文庫」を、長年、主宰してきた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)