余は小学校二年次に本書を学校で読ませられ、担当に感想をいへといはれた。余は「象を殺すことは正しい。」と自分で思つたとほりの感想を述べた。だがこれが担当の逆鱗に触れ、担当はこの感想が正しいかどうかについてクラスの多数決をとるといつた愚行に出、余の感想に対する弾圧を行つた。自分で思つた感想をいはうとか、自分の感想を大事にしやうとか、調子のいいことを他方でいつてゐながら、自分の思つた感想をいふと弾圧せられるとはいつたいどういふことなのだ。担当の気に入る感想をいへといふことか。俺の感想が間違つてゐるといふなら、なぜその感想を言論で正さうとしない。余の感想を排除したいが、言論で戦ふことができないから、弾圧してゐるだけぢやないのか。小学生だつた余は論理的に説明こそできなかつたがかういふ感慨を持つたものであつた。本書は一応平和教育の目的で出されてゐるらしい。だが思想の自由や言論の自由も守れない輩に平和教育などできるか。全くお笑ひ種だな。さういふわけで本書は余にとつて思ひ出深いものだが、同時にあまりいい思ひ出はない。この本に出てくる象さんに限らず、動物園の動物たちは戦利品として東南アジア諸国から連れてこられ、みせしめのために殺されてゐる面もおほきい。さういふ経緯も含めて考へれば、全くかはいさうな象さんたちだが、かういふ話はさすがに残虐すぎるのか本書には書かれてゐない。だがかういふ話を欠いたまま、本書に書かれた情報だけで判断するなら、本書を読んで「象を殺すことは正しい。」といふ感想を持つとしても、それが間違つた感想とは余には到底思へない。また仮に間違つてゐるとしても、それを論理的に正し、教へ諭す姿勢が定着しない限り、平和教育など到底あり得ないだらう。飢へて死んでいつた象さんたちは全く無駄に死んでいつたのか。日本にはまだまだ反省すべきところが多い。