光太夫達には本当にすまないが、エカテリーナに会ったことのある日本人がいたという事、それだけでも胸の躍るような気持ちがしてくる。
ドイツの一貴族の娘がまるで運命の糸に導かれるかのようにこの国へ嫁ぎ、ロシア人になりきろうと努力し、クーデターを経て夫を排し、
ついにロシア皇帝となる―そんな世界的メガトン級の人と、かたや鎖国まっただ中の日本人、しかも全くの平民。普通ならばまず出逢う筈がない二人なのだ。
仮に接点があったとしても、拝謁を賜るとか、ありえない。しかし拝謁は叶った。これは勿論日本との通商により得られるであろう様々な権益を狙った
ロシア帝国の国家的戦略によるところが大きいのだけれど、その陰には光太夫という人物を愛し、心から応援してくれる異国の人々の数々の助力があった。
ということはそれだけ彼には人間的魅力があったということで、それは今日でも沢山の文献から裏付けがとれる。
それら幾つかの文献からは、理知的でどこか愛嬌があって、東洋の異国人にも関わらず不思議と皆から好かれる人だったという光太夫の人柄が伝わってくる。
200年以上前の出来事ではあるが、幕府の聴きとり調査のかいもあってか一次資料が結構残っているのも現代の私達にはありがたい。
海の向こうの人々の残した物も含め、光太夫一行に関しては、彼らより前に同じくロシアへ漂着した人々に比べれば資料的には格段に恵まれている。
この事と光太夫の人間的資質の大きさに因果関係がないとは決して言えないのではないか。
文献などに目を通してみると、いよいよ帰国が決まった光太夫との別れを惜しむ人々がたくさんいたという。何だか心温まる話だ。
西洋にへつらう訳ではないが、当時の彼らの目に東洋の江戸時代の一般的庶民が認められたというのは客観的に見てもなかなかすごいことのような気がする。
本作は同名の原作を元に映画化された訳だが、原作と比べてどうこうという気は全くない。
原作は原作で素晴らしいし、映画は映画で素晴らしい。ただ、原作はわりと淡々と、あっさりしているのに対し、映画になるとより叙情的な色彩が
強まるとは言えるだろう(当たり前かな)。一人ひとりの絶望感、不安感、異国に触れた驚きが画面を通してより伝わってくる。
原作をかなり絞って絞って、漂流民の帰還へのドラマそのもののみに焦点を当てているため、物足りないと感じる人はいるかもしれない。
しかしあの内容をそのまま2時間にまとめようとしても無理であろう。むしろ映画を先に観た方がいいかもしれない(自分はそうだった)。
それから原作や様々な資料、文献に目を通すといいかもしれない。そしたらまた映画を観てみよう。
今は亡き緒方拳をはじめ、西田敏行、同じく故人となってしまった沖田浩之、川谷拓三、みんな素晴らしい。彼らの名演を観るだけでも退屈はしない。
謁見の舞台となった壮麗な宮殿やイルクーツクの美しい教会は言わずもがな、印象的な旋律の劇中音楽も非常に良い。
祖国へ帰りたいという必死の願い、それが叶った人も、叶わなかった人も、あえてロシアに留まった人も、皆否応なくそれぞれの運命の岐路に立たされた。
異国で人生を終えるのも無念だったであろうが、鎖国中の日本、自分の意志でないとはいえ外国へ行った者が戻ればどうなるか…
そんな国へ帰ることもまた死を覚悟であっただろう。この映画はそんな彼ら一人ひとりの胸の内に思いを馳せながら観て欲しいなと思う。
しかし片や漂流民に年金を与え、死ぬまで面倒を見てくれたロシア、片や自らの意志でないのに外国を見たというだけで生涯軟禁に処す日本という国…
母国ながらこの差には嫌になる。何と狭量で情けのない国であったことか。国の秩序を乱さないためにはそうせざるを得なかったのは解るが、
それでも光太夫達の気持ちを思えばやるせなくなる。彼らのその後の生活が必ずしも不幸ではなかったらしいのがせめてもの慰めだ。
様々な理由からロシアへ留まる決心をした庄蔵との別れ、これは『北槎聞略』に詳しい記述があるけれど、本当に胸を打つ。
(記述通りではないが)映画でもこの悲しい場面は再現されている。現代と違い、一度別れたらもう生きて再び会うことは決してない、今生の別れ。
この場面に胸がじんとこない人はいないのではないだろうか。つくりものではない、遥か昔に本当にあったことだから、余計に心に響いてくるのだ。