それにしても錚々たるメンバーを集めたものです。
大阪大学総長、大阪市長、浄土真宗本願寺住職、
そして内田樹先生と来ました。
それもまたクセのある、一筋縄ではいかないような、
ツワモノぞろいです。
そんな4人が、これまた出口のない教育論を語るわけです。
出口がないというか、無限にあるというか、
その大風呂敷の拡げ方が、われわれに問題提起しているのです。
「教育の荒廃」が叫ばれ、みんななんとかしないといけないと分かっている。
分かっているけれど安倍内閣のときに行った、
「教育再生」を振り返ればわかるように、
トップが変われば、そのときのトップの意向で、
教育という現場の方向づけが簡単に変えられていいのかという問題がある。
そして締めくくりで内田先生が提示しているように、
「絶えず査定され、考課され、格付けされて、評価の高いものは報酬を受け、
評価の低いものは排除される」というストレス圧下のおかれた状況。
まるでグローバル化したビジネス戦争の現場と変わらないじゃないですか。
「ゆとり教育」がダメということになると、この振れ幅の極端なこと。
いま教育の現場には「誇りと自信と笑い」が必要であると。
それは日本社会全体にも共通している命題であるとも思います。
「処罰」をモティベーションとして動くシステムを、
「恫喝」から「敬意」に、「査定」から「支援」に、
「管理」からフリーハンドに。
まこと言い当てていると思います。
賛否両論あるでしょうが、それを思考するところに、
疑問を呈するところにこの本の意義があると思います。