とある宗派の一僧侶です。
映画館で観る機会がありましたので映画の私感とお考え下さい。
語弊を恐れずに言わせて頂きますが、この作品に於いて既に予告やテレビ等で紹介されている有名な、いわゆる”泣ける”シーンは飾りにしか過ぎません。否、良いシーンではあるのですが、それらを表とするなら、この作品の神髄は裏の場面、即ち山崎努や笹野高史ら脇役の場面にこそあるように思います。
「ちゃんと持て!!」
「旨いんだよなぁ。困ったことに」
「また合おうのぉ」
「わし、燃やすのが上手ですけぇ」
観に来ていたおっちゃんおばちゃん達は笑ってましたが、実はとても重い場面。
原作と言われる本の著者が映画との方向性の違いからクレジット掲載を拒否したのは有名な話ですが、それでも映画には一定の評価をしておられます。でも、もしここを軽く扱われていたら原作者は激怒では済まなかったのではないでしょうか。そればかりか宗教(「仏教」ではありません。「宗教」です。)に携わる者の評価も散々なことになっていたでしょう。 しかしこれらの場面での俳優の方々の所作を見ると、 監督がとても大事なシーンと捉えていることが分かります。 商業映画での宗教的な表現は様々な理由からとても難しいのですが、こういう話である以上、宗教性と完全に切り離すことは出来ません。 映画の大衆性と原作の宗教的メッセージ性の二律背反の中で 辿り着いた着地点がこれらのシーンだったのではないかと思います。
この他にも社長と主人公の最初の対面、 社長の主人公の清櫃の動作を見つめる表情、 某所職員笹野と風呂屋のばあちゃん吉行和子との会話等、 一見何でもないシーンにこの映画が本当に伝えたいものが込められています。
すでに観た方もこれから観る方もそれらに注目してこの映画を観ると世間の評判とはまた違ったこの映画の側面が見えてくると思います。
結論としてとても良い映画でした。
☆4つとしたのは、宗教的な観点ではどうしても大衆映画の限界を感じるためです。
求めても無理なことは分かっているのですが…
最後に、家族3人で感想を話していた際、父が 「納棺師を頼む人が増えなければいいがなあ」とぽつりと言ったのが印象深いです。 これは単に映画を見て影響される人が増えることを気にしているのではなく、 元々納棺は家族が行っていたことの意義を薄れさせてしまわないかという懸念からの言葉でした。
この映画が、現代社会で死にかけていた「そこにある『死』=生」に 光を当ててくれたことは喜ぶべきことですが、その『死』を丸投げして自分たちは高見の見物を決め込んでしまう風潮だけは作らないように現代に生きる全員が努めていかなければならないと感じる、そんな映画でした。