書名から最近流行の「うまいもの巡り」の1冊だろうと思っていたが、全然違った。これは楊逸の幼き頃の食べ物の記憶から綴った、一家の「下放体験」という貴重な書物である。
文化大革命時代の下放といえば、先ず学生と考えるが、それだけではなかった。両親が教師で「地主階級」出身の楊一家は1969年の冬、「思想矯正」のため、子供3人を連れ(高校生の長女は既に学校から下放中)ハルピンから60km北の農村、蘭西に下放される(逆に農村から都市に連れてこられる「上調」という制度もあったらしい)。そこであてがわれた家は、水道・電気は勿論のこと、窓ガラスもドアもないという廃屋で、そこで自給自足生活をしながら3年半暮らすのだ。両親の嘆きと心労は如何ばかりだったろうかと、読んでいて胸が潰れる思いだが、6歳の少女楊逸の関心は食べることのみ、その時の味覚が彼女が掘り出せる最大の幼児記憶なのである。
下放生活での母親の活躍が素晴らしい。「地主のDNAをうけついだ」彼女は身重のからだで、春になると固い大地を掘り起こして野菜を作り、鶏、アヒル、ガチョウ、豚、羊を飼い、工夫に工夫を重ねて、少しでも美味しい食事を、と頑張る。彼女が居なかったらこの一家はどうなっただろう。学齢前の楊逸も母親を助け家畜の餌作り等ひたすらに働く。こうして食した、貧しいが心を込めた食べ物の名前が次々と繰り出される。
楊一家の生活は惨めさばかりではない。一家の飼っている黒犬や家畜が実に賢くて、農民から「知識人階級の知識家畜」と呼ばれたり、キュウリが未だ小さい時に枝をつけたまま空瓶に入れ、育った後に酒を注いで「キュウリ酒」にするとか、父親が乾燥サンザシの粉と蜂蜜から作った「消化不良・食欲の改善」薬を、年中空腹の彼女が食べれば食べるほどますますお腹が空いた等の逸話は、読んでいて微笑ましく、少し羨ましい。
ハルピンに戻っても、我家は人出に渡っており、長女が再下放先!で事故死するなど、一家の辛い生活が続く。だが両親の前向きな姿勢と楊逸の明るさで危機を乗り越えて行く。松本清張も、「本当に困難に強いのは、労働者階級ではなく中産階級だ」(『わが半生の記』)と述べているが、ここには中国中産知識人階級の、4文字中国語で言う「不撓不屈」があり、楊逸の原点がある。
楊逸は、「人間とは所詮単純な動物で、いくら思考力があっても……前日飢えていたおなかが、今日八分目に食べられ、しかも美味であったら大満足し、漲らんばかりの幸せ感を覚えるのだ」という。不条理な疎開生活のなかで、子供たちに幸せ感を与え続けた楊家御両親の生き方は、「中国下放史」に残るだろう。