また買って読んでしまいました。もうやめとこと,何度自分に言い聞かせたかわかりません。本屋で「内田樹」という著者名を発見してしまい,ついまた手にとって,これまたぱらぱらとめくり,あの独特の文体のリズムに接して,とうとう手放せなくなってしまいました。渇いた無防備な心は,こうした本の文体にずいぶんと癒されしまいました。
「人間というのは不思議なもので,確定したはずの過去に『別の解釈可能性』があり,そのとき『別の選択肢をとった場合の私』というものがありえたと思うと,なぜか他人に優しくなって,生きる勇気が湧いてくるんです(エターナル・サンシャインより)」なんてフレーズに出会い,噛みしめるたびに,ジわーっとにじみ出てくる数々の映像。
はたして,これは映画論でしょうか。副題に待場の映画論とありますが,映画を語るというより,映画作品を使って,人間についての根源的な洞察が随所にちりばめられた哲学的な随想に思えてなりません。映画を視ていなくても,十分に読める本です。
「話が通じないからこそ,人間たちはその乗り越えがたい距離を隔てたまま,向き合い,見つめ合うことを止めることができません。言葉が通じないことがむしろ出会いたいという欲望を亢進させるのです(バベルより)」や,「ナショナリズムを武装解除し,共生的な社会を構築する仕事は,「隣人」の体温や息づかいを自分の生身に感じ取るところからしか始まりません(パッチギ!より)」などと,様々な人たちによって共生的に創造された映画からこそ,興味深い人間や文化について語りやすいのでしょうか。
吉本新喜劇を見ていると,原哲夫の「だれがカバやねん」や,桑原和男の「ごめん下さい、どなたですか」という,わかっているはずなのに,何度見ても飽きない,そして笑ってしまうシーンがあります。それでもまた,吉本新喜劇を見てしまうのです。この本では,特に真新しいことが言及されているわけではありませんが,著者の本を読んだことのある人なら,そこにまた,通常の映画論とはちょっと違った,でもまたどこかで聴いたような,どこかホッとする文体に出会うことができ,きっとまた,著者の本を買ってしまうんでしょうか。