最近,近親者の不幸があり,家の宗派が浄土真宗(本願寺派)だと知った。
今まで全く興味も関心もなかった真宗だし,南無阿弥陀仏の称名だけで極楽浄土に行けるとは現在でも到底信じられない。
そうではあるけれど・・・「およそ,人間に救いはあり得るのか」(人間に生きている意味はあるのか)というテーマを考えるとき,究極的には一定の宗教を信じるしか,結論を得ることはできないのではなかろうか。
南無阿弥陀仏を称えれば,本当に人間は極楽浄土に行けるのだろうか?
本書は,本願寺派や大谷派やその他諸派の浄土真宗を,広く,分かりやすく説明した本である。
浄土真宗では,清めの塩(死を穢れと見ること)や,吉凶の日取りや,死に装束など,いわゆる迷信の類は,正しい信仰から外れ,人を惑わす習慣として,避けられているらしい。
また,いわゆる戒名というものはなく,「釈○○」という「法名」を用いる。位牌というものもない。戒めを遵守することを誓約する必要はなく,阿弥陀仏の本願の働きによって救われるからである。
これだけ見れば合理的な考えのような気もするが,およそ「阿弥陀仏」というような形而上学的なものの存在を論証抜きに信じることは非合理的な考えのような気もするし・・・今の私には,扱うテーマが大き過ぎるようだ。