評論の面白さとは、著者が、自分のぼんやりしていた意見を、ずばり代弁してくれた、と感じる痛快さではないでしょうか。
そういう意味では、ル=グウィンほど胸のすく論者はいません。
著者が、ファンタジーというジャンルについて、世間の通念、偏見、誤解を論破する明快さは、『夜の言葉』の時から変わっていません。
ただし初期の『夜の言葉』では、集合的無意識の中の神話の元型をとらえるのがファンタジーの本懐だと強調していましたが、『ファンタジーと言葉』ではむしろ、近代小説的な一貫性、具体性、キャラクターの個人性を主張する方向に修正されています。
本書では、その両者が彼女にとってのファンタジーの両輪であることが改めて整理しなおされています。
神話的なものは必要であるが、寓意やメッセージに格下げされる危険性があるため、リアリズムの持つ整合性、すなわち「(ファンタジー世界が)現実から離れれば離れるほど、ますます独自の内的一貫性が重要になる」むねが、綺麗にまとめられており、納得しました。『ゲド戦記』の執筆の事情や反響、フェミニズムやエコロジーの流れも著者なりに統括されており、この説を補強しています。
本書前半では、フィクションはリアリズムしか認めない「モダニズムのリアリスト」に対する、あいかわらずウィッティで痛烈な批判が小気味よいです。トドロフのこきおろしなど、彼女らしい舌鋒が冴え渡ります。
そして今回、特筆すべきは『子どもの本の動物たち』という長い論考でしょう。
さまざまな動物文学を、ファンタジー度の順に取り上げたものですが、『バンビ』の再評価や、『レッドウォール伝説』や『ウォーターシップダウン』など動物ハイファンタジーへの鋭い突っ込みに、ル・グウィンならではの感度が最高に発揮されています。(たとえば後者は、動物の生態を半端に援用しながら、男性優位主義ファンタジーを書こうとしている、という指摘など)
すべての物語は、SFもファンタジーも社会小説もドキュメントもフィクションなのだ、ということを、ル・グウィンはつねにベースにしています。
いつもこのことを、彼女の本を読むと思い出させられます。
善悪の問題も含め、多様な世界、限定されない価値観、現前性だけではなく可能性。透明化している前提にひびを入れ、くつがえすこと。それらを提示するのがファンタジーの使命。
そういう彼女の姿勢には、文学論以上の共感を覚えます。