一時期、憑かれたように山岳遭難を扱った本を読んでいたことがあります。
理由は置いておいて、そういう本の読後にいつも思ったのは
「なにか、すっきりしないなぁ」という感覚でした。
当然扱っているコトがコトだけに当然なのですが、たぶんそれは著者が「完全な第三者」か
「遭難の当事者」であることに関係しているのだと思いました。
「取材を元に、組み立てる」か「自分の経験を元に、組み立てる」
それぞれ良書はあるものの、”山岳遭難”という圧倒的事実が主題となってしまい、
残された者達の視点で語られた「それから」についてはこの本が愁眉と思われます。
著者は、自ら創立した山岳会のOGです。
この本は「遭難の可能性がある」という一報から始まります。
遭難したメンバーは、著者からみてもよく知る人物。
そして、慌ただしい対策本部の設営に始まり、混乱を極めた初期段階。
そして捜索活動の開始と中断、再開までの葛藤や人間模様など、
「第三者でもなく、当事者でもない」という希有な立場で、実に丹念に描き出しています。
特に遭難場所の推定について、執念とも言える事実の追求については、著者のプロフィールを
最後に読んで、この人だから書けたのだなと言えます。
そして、この本の愁眉と言えるのは「ヤマ屋の連帯」というものが、どれだけのチカラを
発揮するのかを余すところ無く描ききっているところです。
遭難したメンバーに対しても、事実は事実としてミスを指摘しつつも、
彼らがいかに魅力的なヤマ屋であったかを、ウェットに偏らずに語っています。
繰り返しになりますが、「その瞬間、何が起きたか」という部分について書かれた本は
たくさんありますが、この本は「その後、残されたものは何をしたのか」について
書かれた数少ない本といえます。推奨します。