臨済宗の僧侶であった対本氏は、医学部を目指す以前から終末期医療の現場に足を運んでいたという。その中で、「僧として心については見当がついても、身体の状態がさっぱりわからない」ことに歯がゆさを覚え、そして決断までに10年近く。医学部に進むことを表明した時の臨済宗内の軋轢も経て医学部入学。今は医師として、やはり終末期医療の現場におられるという。
私事だが、私の父は数年前に末期ガンで亡くなっている。70歳だった。70歳が「まだ早い」のか「本人の寿命だった」のかは人それぞれの評価だと思う。ただ、父が25歳で大病をして手術をした時、当時の医師たちからは「人より20年、寿命が短いかもしれない」と言われたという。父は私が子供の頃からそれを語り聞かせてくれた。そして亡くなったのが70歳。おかげで、私は父の余命宣告と死を比較的冷静に受け止められたのだと思う。
終末期医療と関わってくるのは、「死の受容」だと思う。死は怖い。誰もが怖い。しかし「死の受容」には過程があるのだと言う。これまた私事だが、父が自覚症状も何もないまま3ヶ月の余命宣告を受けたとき、父は受容の過程を一気に通り越して、それをその場で受け止めた。それから、「いかにしてこの世を去っていくか」、その点に心を傾けたように思う。身辺を整理し、残される家族の精神面のフォローをし、思い出作りまでした。それが父の美学なのだと本人に尋ねて確認できたから、私たち家族はそれを果たすことに専念できた。そして、家族もまた受容の過程を経て行けたのだと思う。父は治療も何もせず(することはかえって命を縮めることになったからだ)、穏やかに普通に家で1年を暮らした。そして入院して6日で逝った。最後の日まで意識があったので、私たちはありがとうの言葉も言えた。見事な逝き方だったと思う。もし自分がその立場になったとき、そんな逝き方ができる自信は、今の私には全くない。自分が70歳になったとき、私はそうできるだろうか。それも自信はない。
この本では、終末期医療の現場におられる患者さんたちのエピソードもたくさん出てくる。終末期医療に携わる専門の医師がまだ少ない中、さらに、そこで精神面のケアにあたる精神科医も少ない中、医師であり僧侶でもある対本氏がどういった対応をされているのか。それを、精神科医である香山氏が聞く、という形で対談は進む。
この本に答えはない。それは帯にも書かれている。しかし、そもそも「死の受容」の過程は人それぞれで、すべての人に当てはまる普遍的なものはないのだと個人的には感じる。それでも患者さんに対して何をすることができるのか。どこか共通する部分があるのではないか。その日々の模索の過程を、私はこの本で知ることができた。