いじめとは大人社会の反映である、という一見ありふれた結論なのだが、教育の問題を教育の専門家の議論に封じ込めるのではなく、またいじめる者といじめられる者の心理の問題に還元するのでもなく、日常の公共的な問題の中の一つとして位置づけている点で、説得力もあり、また建設的な議論であるように思えた。近代社会は私事化・個人化が押しとどめられない世界のトレンドだとしても、こうした傾向は残念ながら特に日本に強い。子どもさえこの私事化の文化を内面に社会化することようになるとすれば、やむを得ずいじめが生じたとしても、それに付和雷同的に関わるか、あるいは知らぬ存ぜぬの傍観者として関わるか、いずれにせよ、積極的であれ消極的であれ、いじめを増幅することになる。こうした私事化によるいじめの増幅をどう阻止するか、それは、社会の公共化、ソーシャル・ボンドの育成、市民教育の充実にかかっているという主張、至極当然だが、いじめ問題を社会の不安として真剣に考える者にとっては、頼りがいのある見解であると思う。具体策に乏しいという批判もあるかもしれないが、それはないものねだりだろう。われ関せずの市民を公共世界に引っ張り出す社会の公共化自体が難問なのだから、いじめ問題の解決が難問であることに何も変わりはない。教育者であれ一般市民であれ、いじめ問題の処方箋を探る方向性を示すという点では、本書は成功した書物だろう。