訳者の須賀敦子さんをして「羨望と感嘆のいりまじった一種の焦燥感をさえおぼえた」と言わしめるこのイタリアの私小説は、ひと癖もふた癖もあるナタリアの父親と、彼が愛した風変わりな山歩きの描写で幕を開ける。
「なんというロバだ、おまえは!」と家族を怒鳴りつける父親におどろき、その父がこよなく愛する山歩きを「悪魔の一味のいっせい休暇」と呼びならわしてなんとか逃れようとするお茶目な母親の姿にくすりと笑っているうち、この家族にすっかり愛着がわいている。
家族の思い出をたどるこの小説に命を吹きこんでいるのが、タイトルにもなっている家族の「会話」、印象的な言葉たちだ。
家族の言葉について、作者はこんなふうに書いている。
「私たちは五人兄弟である。いまはそれぞれが離れたところに住んでいる。(中略)けれど、あることばをひとつ、それだけ言えばすべて事足りる。(中略)あの遠い昔の言葉、何度も何度も口にした、あの子供のころの言葉で、すべてがもと通りになるのだ。(中略)どこかの洞窟の漆黒の闇の中であろうと、何百万の群集の波の中だろうと、これらのことばや言いまわしのひとつさえあれば、われわれ兄弟はたちまちにして相手がだれだか見破れるはずである」
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父や兄、自身の夫に降りかかる過酷な運命を描くときでさえ、ナタリア・ギンズブルグの筆は揺らぐことがない。簡潔で淡々とした文体がつらぬかれる。
抑えた表現だからこそ、行間には深いなつかしさがにじむ。
笑いながら読み流していた、遠い日の父の「名言」、何気ない団らんの場面を思い起こさずにはいられなくなる。
さらさら読めるのに、後からじんわりと効いてくる一冊。
手もとに置き、折にふれて読み返したい。