本書でスマナサーラ長老は現代文明に生きる限り、本音と建前を使い分けるのはやむをえないとおっしゃっています。世間一般の常識では、「正直は人の宝」というような価値観がありますが、長老はその考え方にも異議を唱えています。なぜなら、人が本当に自分の本音に正直であったなら犯罪者ということになってしまうからです。例えば、ある人が「あの人は嫌いだいなくなればいいのに」と本音で思い行動に移してしまったら結果は刑務所行きです。したがって、常に正直であればいいのではなく、本音と建前の使い分けが必要になってくるのです。
ところで、人は自分の本音を無視して生きています。人の本音の本質は常に欲・怒り・無知であるのに本音をごまかして生きています。しかし、長老は、
「本音を無視してはいけないのです。本音をないことにしてはいけないのですよ」
「気づいた本音を認めることで、精神的に楽になるのです」(p49)
とおっしゃっています。
ここで本音を無視してはいけない、けれども本音に忠実でありすぎれば犯罪者になる、という板ばさみ状態になります。そこで仏教的な解決法は以下のようなものです。
「もともとは悪である本音をしっかりと磨き上げて、善にする」
「今の瞬間自己を観察する…観察する時間の間隔が短いほど、自分を明確に理解できます」
(P197)
人間の基本的な感情は悪なのだから、こうして自分の観察を続けていると必然的に自分の悪い部分が見えてくるはずです。ですが、「悪を発見すると、悪は勝手に減っていくのです」(P188)という長老のお言葉はヴィパッサナーをする意義と効果を示していて勇気を与えてくれます。