陽炎のなかでゆらゆらと立つ人影のように、櫻田哲生の10の物語はくにゃくにゃと
揺れるばかりで、読み終わった今も、私のなかで決して鮮明な像を結ばないままだ。
『あなたの獣』というちょっとワイルドでエロティックな匂いのするタイトルを
振り返ってみて、小首を傾げたくなる。
「砂」「飴」「桜」「窓」「石」……といった、漢字一文字の章のタイトルは
どことなく自然主義の作家が好んで用いたそれのようで、
彼が小学生から死んで骨になるまでの人生の時どきを象徴するものだ。
何を考えているのかわからない男。のらりくらりと女も仕事も替えながら、
それでも執着したり、されたりする女などもいて、年を重ねていく。
のらりくらりしながらもこだわり続けるエピソードもある。
この類の掴みどころのない男については、荒野さんはかつて『潤一』を書いている。
『潤一』では、若さと彼の人間性の底になお残る幾ばくかの純粋さを描き得ていた。
比して、哲生は。何事にも立ち向かわず、抗わず、流されるごとし。
それでも、女の「愛」が欲しかったのか。
行間からは、哲生のその熱は伝わりにくかったように思う。
読むうち、哲生の定まらなさに揺られ、揺られ乗り物酔いめいた
心地の悪さを感じ続けていた。
しかし、誰の人生も、ほんとうはこんなものかもしれない。
家庭を築き、仕事を持ちすることでこの世と繋がっていると思っているだけかもしれない。
不確かな愛の模様と不確かな人間の存在。
それをいちばん強く感じたのは「声」の章。対する相手もまたその不確かな存在を
存在足らしめるゲームに乗っかっているとしたら……。
「骨」の章では、もはや哲生は存在さえしない。
読み手に迫るのではなく、読み手を揺らす。
不確かさや変容といった人生の本質をうまく捉えた物語であると思う。
潤一