長薗安浩さんの「あたらしい図鑑」を随分と遅ればせながら読んだ。
老いと死という事をテーマに書いているようだから最もなのけれど、この人の小説の主人公は老人が多い。
加齢による肉体の衰えについての描写は、変に弱者として描くでもなく、美化している訳でもなく
ありありとしたイメージに触れられる程にリアルな老人像が描かれている。
足元はおぼつかなく、顔には老人斑が浮き出ていて、
汗ばんだ時には、息を止めたくなるほどに加齢臭もきついのだけど
精神性の深さがいつも、もの凄く魅力的に綴られている。
中学一年の少年と、アル中気味の老詩人村田は、病院の待合室で友達になる。
少年の成長に合わせて、詩人は老人しか伝えることが出来ない事を、
文字通り命が途切れる様をも含めて少年に伝えて行く。
思春期に入ろうとしている少年に、初めて湧き上がってくる様々な感情に向かって
幾度もの結婚を繰り返した老人は、感性の瑞々しさはとても大切なことだと伝えようとする。
その瑞々しさを忘れない様にすると言うこと、
常に自分を受け入れて進んで行く事が大切なのだと言うこと、
興味を持ったことは自ら動いて納得することが必要なんだと言うことを伝えて行く。
モチーフは扁平足の土踏まずだったり、まだ未発達な少年の身長だったり、
或いはもやもやと形にならない感情や言葉の保存方法だったり、
老詩人は自分の感情や言葉を保存した「あたらしい図鑑」というスクラップブックを少年に見せて、
君も作れと伝える。
そこにはそれぞれ、伝えて行く役割だったり、受け取ってさらにそれを元に創造して行く役割だったりという
世代の流れによる立ち位置の様子もよく表されている気がする。
人生の折り返しを超えて生きて来て、
自分は今、どこの立ち位置なのかと考えさせられる。
社会的役割や家庭的役割は、人それぞれによってすべて異なるとは思うが
僕の世代は当然話中の少年達ではないし、かといって老詩人達までにはまだ随分間がある。
世代の持つ役割というのはこういう事かと、複雑に考えさせられる。
せめて、老詩人村田の歳になった時にでも、みずみずしい感性の大切さを忘れないで、
かっこよく立ち続けるスタンスを保ち続けたいものだと読後に強く感じた。