「√2が無理数」の証明は、通常「背理法」で証明していますが、
「直接証明」の方が「解かりやすい」と思う。
(私の講義では、より一般な定理を直接証明(数種類)していますが、
思いつきやすいものを書きます。)
「平方数m^2,n^2の「2に関するベキ指数」は(0も含め)偶数、
一方、2n^2のそれは奇数であるから、2n^2≠m^2である。
つまり、√2≠m/nで√2は有理数ではない。」
または、自然数aの2に関するベキ指数は、
aを素因数分解したとき2のベキとして現れますから、別証:
「m,nを素因数分解して(暗算が苦手な方は書き下して)、
2n^2とm^2を比較(特に2のベキ)すれば、2n^2≠m^2であるから、
√2≠m/nで√2は有理数ではない。」
つまり、
「√2が有理数ではない。」ことは「当たり前のこと」なのです。
背理法においては
背理法の仮定(最終結果の否定で、結果的に偽)の下、
矛盾(その形から完全に偽)まで、
一般には内容が正しくない(意味論的)中間結果が出現します。
内容が正しくない主張は誰も理解や納得できない。
求める最終結果は(背理法の原理で)成立するが、
一行一行の内容を完全には理解(意味論)はできないので、
何故成立するかの説明にはなっていない。
背理法では、
結果が正しいことは(構文論的に)保障されるが、
その一行一行を完全理解する(意味論的に)ことは、
原理的に不可能なのです。
逆に、最終結果に意外感があり、当たり前と思えず、
(「解からないけど、すごい!」と思っていられる人は幸せ?)
「√2が有理数ではない」(当たり前のこと)が「不思議」
な感じをうける。
ピタゴラスの頃には
「数学の研究で最先端の定理」であったろうから背理法でもよいが、
周辺知識(上の例では素因数分解)も整備された現代においても、
当時の証明をそのまま使う現代の数学教育(高校?)はいかがなもの
かと思っています。
この本は、
「「√2の不思議」が「何故現代まで不思議で残っているか」」
という「不思議」を数学史(勉強になりました)を通して
明らかにしてくれています。つまり、
「「√2の不思議」の不思議」として読めば、
星4つの価値があります。