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38 人中、35人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0
拙速の書?不本意の書? −ドストエフスキーの一愛読者の願い−,
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レビュー対象商品: 『罪と罰』ノート (平凡社新書 458) (新書)
ちょうど『罪と罰』を読み直したところだったので興味を引かれ、一読して驚いた。作品世界の事実に関して余りにも間違いが多いのだ。例えば:
●主人公が大学を中退したのは「三カ月前」(p.82)とあるが、正しくは半年前である。(このとき犯罪論を書いたと予審判事に語っている。)●ラズミーヒンがドゥーニャの前で婚約者ルージンのことをけなすのは、物語八日目の朝(p.136)ではなく、したたかに酔っていたその前夜である。●カテリーナの死後、遺児たちの処遇に奔走するのは、主人公(p.227)ではなく、スヴィドリガイロフである。●スヴィドリガイロフが自殺するのは「アキレスの銅像の前」(p.245)ではなく、銅製のアキレスふうの兜を着けた男の前である。●その妻マルファが死んだのは、主人公の犯行とほぼ同時(p.264)ではなく、その3日ほど前(=主人公の母が息子に手紙を出した日)のことである。 確かにこれらは勘違いかもしれない。しかし、これが次々と(ざっと20数箇所も)続くとなれば、信用は揺らがざるを得ない。平凡社新書のリニューアルに間に合わせるために急いだのだろうか。それにしても拙速である。 この印象は、内容についても当てはまる。 本書で著者は、翻訳の際に細部について「発見」したことを、諸人の研究成果をまじえながら、順次述べていく。問題はこれらが、「発見」というには余りに論証が不十分であり、思いつきの域を出ていないことである。つまり、十分に考え抜かれていないのである。「本書でわたしが語りえたことは、おそろしく貧しい」と著者自身が後書きに記しているが、細部の説明が互いにばらばらで作品全体の理解に結びつかないのももどかしい。 ともあれ、せっかくのブームである。これを深めるためにも、著者にはメディアの近視眼的商業主義に乗らず、『カラマーゾフの兄弟』、『罪と罰』の誤訳等も含めて、まずこれらの誤りを徹底的に正すところから始めていただきたい。
4 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
これと『罪と罰』、抱き合わせでいかが?,
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レビュー対象商品: 『罪と罰』ノート (平凡社新書 458) (新書)
『罪と罰』を読み終えたとき、実は物足りなかった。もっと長く、もっと濃いものだと思っていたのだが、要はこちらの読む力も足りなかったということだったようだ。本書を読んでやっと『罪と罰』を読み終えたようなスッキリした気分にさせられた。
面白かったのが、小説の出来上がる背景(歴史的、土地柄、ドストエフスキー自身)を詳細に解説してくれているところ、「神の不在」と極限の孤独、7という数字へのこだわり、父殺しのみならず、「母殺し」である説も浮上、ソーニャの聖書の朗読の意味と、これが繋げる3人、ラスコーリニコフとソーニャの部屋から連想する「死」、フーリエ主義の影響、スヴィドリガイロフの自殺の意味、などこれまでの研究で解明されている説と著者自身の考えを多角的に論じているので、内容が深い、でも素人にもわかりやすく解説してくれているので、非常に面白い。 結局、「ドストエフスキーの(神への)不信を共有するか、あるいは信仰を共有するかで、『罪と罰』の読みは、根本から異なったものとなる」らしい。
13 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
「新しい神の国のヴィジョンはない」,
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レビュー対象商品: 『罪と罰』ノート (平凡社新書 458) (新書)
たしかに力作です。なまじっかの知識ではこの「ノート」は味わえないでしょうね。結構に読みにくいです。というよりもオリジナルの「罪と罰」自体が問題作なんですね。私は、今まで原作は3度(日本語で2度、英語で一度)読んできましたが、つまるところロシア語で読まなければ、その本当の魅力の隅々までを味わうことはできないというわけです。聖書、ロシア語の謎解き、ロシアの分離派、当時の政治社会制度の変貌その他もろもろの当時の時代にまつわる全て(これはtriviaか?)が動員されなければ、翻訳なんてできないわけです。翻訳というのは、やり方しだいでは、本当にその翻訳者の全人格と存在が問われる作業のいうテーゼの見事な証明でもあります。そしてこのノートでは、先人(ロシア人や日本人も含めて)の昔から最近までの格闘の跡を参考にしながら、これらの「trivia」をわかりやすく総動員しながら、追跡は進められます。いくつものオリジナルな解釈が呈示されます。ソーニャのユダヤとの関わり、フーリエ主義(これは金融工学の源流か?)のグロテスクな夢、そして最後のしかしそこに最後に見えてくるのはオリジナルな亀山氏の姿です(「ドストエフスキーの不信を共有するか、それとも信仰を共有するか」)。これはロシアフリークの原型といった方がいいのか、それともむしろ亀山氏の人間観といったほうがいいのかもしれません。宗教を超えて、「生命への欲望と感覚」、そして「散文的」だが「土」と「空気」への抑えられた賛歌で本書は閉じられることになります。これは亀山氏なりのglobalisationへの解答なのでしょう。
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