歴史小説は、歴史時代の完全な再現は不可能だとしても、歴史学の到達したところを尊重し、史実に忠実に残存する資料を慎重に扱うべきであり、司馬作品も本人が100%近く史実に拘束されていると書いている。
ところが司馬作品は、産経新聞記者としての読者配慮からか、読者への過剰サービスが行き過ぎ、歴史事実の選択を恣意的で作為的なものとし、日本人にとって辛くて暗い、戦争の最大の犠牲者である民衆や植民地民族の版帝国主義闘争など、読者が逃げるような記述は避け、いうなれば安心史観をベースにしたエンターテイメントにしているのである。
それを著者は膨大な史料を使い、幾度も司馬作品を読み返して、誤りを指摘する本書を執筆した。
これに反論する形での「小説なのだから面白ければいい」との声には、司馬を賞賛しているようでその実三文文士並みに扱っている事になると著者は言う。
終盤では、最近は大人しい藤岡信勝拓殖大学教授をも、司馬の受け売りだが、アジア太平洋戦争においては、司馬と異なり右翼民族主義者に限りなく近く変質し、「師の徳を損なう結果を生んでいると言わざるを得ない。」(国弘正雄)と小気味よく斬っている。
勘違いしてはならぬが、著者は佐高信のように司馬を忌み嫌って本書を書いているわけではなく、司馬との対話として書いているのである。
故に司馬ファンにとっても本書は、司馬作品の解説書としても、司馬をもっと知る上でも読まれるべき本であろう。