日本語という言語の特殊性を切り口に、最近の日本社会におけるコミュニケーションのまずさに端を発する閉塞感について分析しているのだが、米国に拠点を置く日本語教授法学者ならではの面白い視点で、洞察も深く、なかなかの本である。コミュニケーション関係の本では、この前、「「場の空気」が読める人、読めない人」を読んだが、似たような値段の新書ではあるものの中身は雲泥の差である。
筆者は、日本語の特性として単語を省略しやすいことを挙げており、一対一の人間「関係」においては、「関係の空気」というものが存在し、同じ発言でもその空気によってニュアンスが大きく変わるものの、概ねコミュニケーションが正しく成立することを指摘している。他方、このような省略された日本語が、「関係の空気」が希薄な公の「場」で用いられると、話し手のメッセージが必ずしも受け手に正確に伝わらず、「場の空気」に支配され、メッセージが単純化された上で暴走を始めるのだという。暴走を始めてしまったメッセージは、反論を許さない空気を強く帯びて権力化してしまうことが問題であり、こういった「場の空気」をうまく操っている人物の代表例として、著者は小泉総理とみのもんたを挙げている。彼らの共通の話法として、です、ます調に「・・・だ」「・・・である」という断定調を混ぜるコードスイッチ話法があり、この話法はリズム感が出て説得力があるのだが、下から上への会話には失礼に当たるので用いることができず、会話の対等性が失われてしまい、したがって反論もしにくいのだという。
こういった公の場における日本語の暴走を避けるため、著者は、「ちゃんと省略せずに語る」「教育現場ではです、ます調をきちんと教え、ビジネスの世界では上下の関係であってもです、ます調で話す」などの提言をしている。自分の日頃のコミュニケーションの仕方についても色々と考えさせられ、気づきがある本であり、コミュニケーションに興味のある人に広くお薦めである。