本書は賃金労働者にこそ読まれるべき1冊だ。毎月累々と生産される腐れ自己啓発書には、もう大概うんざりするが、これだけ相も変らぬ似たような商品が出てくるということは、ニッポンもやはり反知性主義が渦巻いていると考えざるを得なくなる。
デカルト学者・小泉義之がウェブ上や各誌で書いてきた文章をまとめたのが本書。
終章の「資本のコミュニズム」のみ書き下ろしで、これは21世紀の「コミュニスト宣言」とも言うべき必読の一文だ。ここでの認識は、まず社会主義が20世紀に完成したという認識である。それはすなわち、現在のユーロコミュニズムが到達した、あるいは帰結した社民主義が破綻してしまったという言説に他ならない。議論のプロセスは省くが、「資本のコミュニズム」が21世紀の共産主義の萌芽であると言う壮大な認識は、著者の言うように悦ばしいことであると思う。
また、第7章「知から信へ」は8ページほどの小論であるが、繰り返し読むべき一篇。そして、これと密接に関連する次章「不自由を解消しない自由」、続く「無神論者の宗教性」は、我々の世界に対する認識と、宗教という21世紀に回帰してきた「信」についての様々なヒントを与えてくれる。特に「不自由を解消しない自由」については、それぞれの読者が一度徹底的に考えるに値する素材である。
平易な文章ながら、極めて抽象度の高い思考が展開されている。
本書は2006年の夏に刊行されているが、あまり注目もされていないようだ。その理由は、おそらくタイトルにある。格差や勝ち組、負け組といった類の本に読者は飽きてきている。飽きてきているなどというと誠に不謹慎であるが、実際問題、格差の本を読む多くの人は格差社会の被害者ではない。勝ち組に位置する生活に困ることのないインテリさんが、経済の情勢論や社会評論の一つとして、ゲーム理論や最先端マーケティング論などとともに購入する1冊ということなのだ。
この事態は、たとえばすぐれた格差社会分析を公表している橋本健二の著書に対する冷ややかさをみてもわかる。橋本の『階級社会』(講談社メチエ)などは、現代日本社会論の白眉だと思うが、『下流社会』やその他有象無象の便乗本の10分の1も話題にならない。つまり、端的にインテリ読者は、この手のタイトルの本に飽きているのだ(だって対岸の火事だもん)。
小泉の本書の詳しい売行きは勿論知らないが、ジャーナリズムの反応をみているとやはり寒いというしかない。
取り上げられているテーマも広範であり、タイトル付けは難しいが、もう少し検討すべきであった。