今や「認められたい」という欲求は、リアルかネットかを問わずいたるところに転がっている。というよりも、誰かに見られていなければそれだけで不安、「便所飯」や「無縁社会」等の言葉が生まれ持て囃されるのも、そういった時代の反映と言えよう。本書『「認められたい」の正体』は、承認を哲学、心理学の観点から考察し、承認不安をいかに超克するかを模索する。
しかし、本書のキモというのは、この息苦しい承認不安を乗り越える術、というよりも、人間が承認を渇望するそのプロセスと承認の区分を、現象学やフロイトの知見をもとに解説したところ、言い換えれば「承認」というタームから現代思想をした、というところにあるだろう。
承認を「ありのままの私」(評者自身はそんなものがあるのか疑っているが)を許容してもらえる「親和的承認」、ある特定の集団からの「集団的承認」、普遍的にその価値が認められる「一般的承認」に区分した著者は、現代において承認不安が勃興している背景に、それまで共有されていたはずの価値観の衰退があると説く。「一般的他者の視点」からの承認が満たされなくなった現代人が、偏った価値観を持つある特定の集団内での「空疎な承認ゲーム」にかまけたり、自己の中に耽溺するニヒリズムに陥っていく、というのだ。
現状分析的には、リオタールあたりから続く「大きな物語」論のパラダイムから抜け出せてないが、この承認のプロセスはある程度評価できる。ただ、この解決策として著者は「一般的他者の視点」を持てというが、それができてりゃやってるよ、という話ではある。それに、エロス的な承認を一般他者からの承認で代替できるのだろうか。さらにいえば、少々嫌味っぽいが「承認を得るために『承認について語るゲーム』」も始まっているといえなくもない。こういうときこそ、シンプル イズ ベスト、人の目なんか気にするなという言葉が、地味に効いてくるんじゃないかと、ふと思った。