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最も参考になったカスタマーレビュー
16 人中、16人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
きちっと批判することの価値,
By 遠雷 - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用 (単行本)
ラカンやドゥルーズはわけわかんないレトリックを用いてるからいいやって感じで無視するのではなく、きちっと真面目に批判しているところが好感持てます。やっぱり語義がきわめてボヤっとした、でもなんとなく雰囲気があって深みがありそうなテクストには惹きつけられますが、そこに若者がハマり過ぎちゃまともな研究積み重ねられないので、こういう批判は非常に意義深いことだと思います。 ちなみに、「実はソーカルは間違っていた。何故ならば、ソーカルの分野(フレームワーク)から批判しているからだ」だなんて、ソーカル批判をしている人も見かけましたが、そうではないでしょう。 ソーカルの論理とラカンの論理は違っていて当然です。ソーカルが言っているのはラカン等の著書が学問的な論理に適合しないのに、学問の面をかぶっているから批判しているわけです。めちゃめちゃな隠喩の戯れ、エクリチュールの戯れを、文学的に捉えれば何か面白い発見ができるかもしれません。人生に役立つヒントが得られるかもしれませんね。しかしそれは「文学」としての面白さであって、学問の面をかぶる必要はないでしょう。ポイントはそこです。
99 人中、84人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
デタラメな知識によって複雑に見せかけられているだけの陳腐な現代思想,
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レビュー対象商品: 「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用 (単行本)
ポストモダン、と言われる人々の本が、いかにデタラメな科学・数学知識で埋め尽くされているかを論理的に批判した本。要するに、ポストモダン系の著作には、難しくもないことをデタラメな科学知識を並べ立てることで、難解に見せかけているだけのものが数多くあるということだ。 まず冒頭で、「この本へのありうる批判」を片端から挙げ、それが何の意味もない批判であることを先に示している。 そして、ラカン、ボードリヤール、ラトゥール、イリガライ、ドゥルーズ=ガタリ、ヴィリリオといった著名なポストモダン系の人々の著作がいかにデタラメな知識で満たされているかを、きちんと指摘する。 例を挙げよう。 「これは、出来事の空間が多重に屈折するハイパー空間となったことの記号、戦争の空間が決定的に非ユークリッド空間となったことの記号である」(ボードリヤール)(P196) 「このようにして、勃起性の器官は、それ自身としてでなく、また心像としてでもなく、欲求された心像に欠けている部分として、快の享受を象徴することになる。また、それゆえ、この器官は、記号表現の欠如の記号、つまり(−1)に対する言表されたものの係数によってそれが修復する、快の享受の、前に述べられた意味作用の√ー1と比肩しうるのである」(ラカン)(P37〜38) 「しかし、連続体仮説は証明できない。 労働組合的現実主義に対する政治の数学的勝利」(バディウ)(P240) 笑うしかないようなデタラメッぷりである。話を混乱させる以外の、ほとんど何の意味も持っていないだろう。 そして、ソ−カルは科学への相対主義の濫用をも厳しく批判する。 彼ら(相対主義濫用者)は、大抵の場合 ・科学と他の事象とで、異なる対応をするダブルスタンダード ・曖昧な言い方によって、すごいことをいっているように見えながら、じつは当たり前のことしか言っていない のどちらかである。 こうした本が出ることによって、少なくとも、わかりにくい著作に「わかりにくい」とはっきり言いやすくはなっただろう。
119 人中、100人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
ポストモダンの問題の根深さ,
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レビュー対象商品: 「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用 (単行本)
本書を口火にポストモダンへのの批判が相次いだが、それに対する反駁、つまりポストモダン擁護の声も一部にあがった。これらは大きくは次の二つに分類されるように思う。(1)数学的な表現の間違いは瑣末であり、本質ではない。 さて、同じ「ポストモダン擁護」と言いながら、(1)と(2)とでは全く正反対の主張である。つまり(1)が本書の指摘している数学的表現の「間違い」を間違いと認めているのに対し、(2)は間違いではなく、受け取り側の問題、理解力不足だとしている。 ポストモダン擁護派は本書を批判する前に、(1)と(2)との間で徹底的に議論して頂きたいものである。 いずれにせよ合理的には理解しがたい状況なのだが、とりあえず個人的には次のような解釈をせざるを得ない。 《ポストモダンのお先棒を担いだ人々は、かくもいい加減な記述を崇め奉りながら、一方で筋の通った解釈を必要としたため、それぞれが”優秀な頭脳”で同じテキストを千差万別に「読み込ん」でしまった。》 ……まさに本書が指摘した、ポストモダン論文の表現のいい加減さ、という問題点と同根である。 さて、反論パターンとして(1)(2)に加え(3)として、本書の筆者への個人攻撃というパターンもあることも、敢えて指摘しておこう。いわく「フランス学会にルサンチマンがある」、「これ以後大した成果がない」。 仮に筆者達の人格が最悪としても(あくまで仮定!)、彼らの指摘はそれとは独立に全く有効であることは言うまでもなく、むしろ(3)を主張する人物の科学への姿勢を疑わせるのみであることは言うまでもない。
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5つ星のうち 5.0
どれだけ理解できたか不安ですが、
「思想地図β」から流れて、哲学についてほとんど造詣がないながら、年末年始に読みました。... 続きを読む
投稿日: 16か月前 投稿者: かなこ
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