中国東北部に、かつて南満州鉄道株式会社という国策会社があった。
日露戦争後に得られた鉄道、石炭と沿線の自治権を維持するためにつくられたこの会社は、営業キロ数1万キロを越えてシベリア鉄道経由、ヨーロッパとつながる路線をもち、日本人のみならず多くの中国人、朝鮮人、白系ロシア人の社員をかかえる国際的企業であった。
本書は、『満鉄を知るための十二章』(吉川弘文館2009年)の続編ともいうべき内容で、元社員のあつまりである満鉄会の協力の下、満鉄社員会編集の社内報『協和』の引用と、存命中の元社員からの証言により、当時の鉄道技術と、歴代総裁の姿を中心に紹介する内容となっている。
例えば、車両の塗装にしても、材質ごとの下地処理、下塗りと磨きの繰り返しによって丁寧に仕上げられた車体が、中国で長く使用に耐えた事実があげられる。
満州事変に全面協力したことで知られるが、軍用列車を関東軍司令部からの電話ののち20分で仕立て、通常の旅客列車を運休することなく、3か月間運行しつづけた記録が引用されている。駅員たちは、いわゆる匪族の襲撃に対して、文字通り「命がけ」で業務を遂行した。
満鉄総裁といえば、関東大震災の復興で知られる後藤新平、日独伊三国同盟の立役者松岡洋右がよく知られるところだが、政争や財閥の主導権争いのなかでも、数多くの有能な総裁がいたことが、あらためてわかった気がした。
惜しむらくは、終戦直後関東軍が敗走するなかで、ソ連軍の了解をとりつけ、邦人の引き上げに奮闘した際の鉄道運行について、もっと証言を汲み取れたはずなのに、全体の構成や新書という形態をわりひいても、やはり少ない。
また、最初に紹介したような国際関係のなかでの位置づけが欠けている気がした。あとがきにある「植民地経営の装置としての機能」の部分に触れないのは、元社員たちに配慮してのことであろう。
いずれにしても、これまでの「あじあ号」と「満鉄調査部」だけではない、南満州鉄道株式会社のありし日の姿を知るうえで、本書は有益な書籍といえるだろう。