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「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)
 
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「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書) [新書]

郷原 信郎
5つ星のうち 4.5  レビューをすべて見る (45件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

商品の説明

「法令遵守」が日本を滅ぼす
コンプライアンスが声高に叫ばれているが、法令だけに目が向き、法令さえ守ればいいという悪しき風潮が起こると恐ろしい。守るべきは、法令の背後にある社会的要請。建設談合やパロマ事件を例に、大学のコンプライアンス研究センター長である著者が、コンプライアンスの誤解を解く。 (北方雅人)


(日経ベンチャー 2007/03/01 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)

出版社/著者からの内容紹介

相次ぐ事件・不祥事、混迷を深める経済社会、諸悪の根源は
「法令遵守」の考え方そのものにある。

元検事・法科大学院教授の異色のオピニオンリーダーが、
官製談合、ライブドア、村上ファンド、耐震偽装などの
最近の経済事件を通して、法治国家・日本の病理に迫る。

内容(「BOOK」データベースより)

「申し訳ございません。違法行為を二度と起こさないよう、コンプライアンスを徹底いたします」とは、不祥事を起こした際の謝罪会見での常套句。だが、こうした「コンプライアンスとは単に法を守ること」と考える法令遵守原理主義そのものが、会社はおろか、この国の根幹をも深く着実に蝕んでいるのだ。世の中に蔓延する「コンプライアンス病」の弊害を取り上げ、法治国家とは名ばかりの日本の実情を明らかにする。

出版社からのコメント

不二家、パロマ、東横イン、ライブドア、
そして各地で発覚し続ける談合問題──
うわべだけのコンプライアンスこそが、
組織を蝕む元凶だった!

「申し訳ございません。違法行為を二度と起こさない
よう、コンプライアンスを徹底いたします」とは、不
祥事を起こした際の謝罪会見での常套句。だが、こう
した「コンプライアンスとは単に法を守ること」と考
える法令遵守原理主義そのものが、会社はおろか、こ
の国の根幹をも深く着実に蝕んでいるのだ。世の中に
蔓延する「コンプライアンス病」の弊害を取り上げ、
法治国家とは名ばかりの日本の実情を明らかにする。

著者について

1955(昭和30)年島根県生まれ。東京大学理学部卒。
東京地検特捜部、長崎地検次席検事などを経て、
2005年から桐蔭横浜大学法科大学院教授、同大学
コンプライアンス研究センター長。警察大学校専
門講師、防衛施設庁や国土交通省の公正入札調査
会議委員、文部科学省の研究費不正対策検討会委
員、内閣府のタウンミーティング調査委員会委員、
シンドラーエレベータのアドバイザリー委員会委
員長、不二家の「信頼回復対策会議」議長なども
務める。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

郷原 信郎
1955(昭和30)年島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事などを経て、2005年から桐蔭横浜大学法科大学院教授、同大学コンプライアンス研究センター長。警察大学校専門講師、防衛施設庁や国土交通省の公正入札調査会議委員なども務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

抜粋

 まえがき
   
 日本は果たして法治国家だろうか。そのことを私が真剣に考えるようになった
のは、今から4年前、長崎地検次席検事の職にあった頃です。次の文章は、
「法の日週間」にちなんで当時地元紙に寄稿した随筆の一部です。
 
《先日、七月から長崎地方検察庁で検察実務修習中の司法修習生に講話をする機
会がありました。その冒頭で、「日本は法治国家だと思いますか」と尋ねて挙手
を求めたところ、六人全員が手を挙げました。若き法曹の卵たちは、日本が
「法治国家」であることにいささかの疑念も持っていないようです。
 確かに、日本には憲法があり、数多くの法律が制定され、国や地方の行政
も法律に基づいて行われています。市民生活もさまざまな場面で法律とのかかわ
りを持たざるを得ませんし,企業活動のルールも法律で定められています。しか
し、社会の現実を見ると、わが国が実質的な意味で法律によって治められている
国だと言えるかどうかは疑問です。
 自動車会社のリコール隠し事件、食品の偽装表示事件、助成金の不正受給事件
など企業の違法行為、秘書給与の流用,政治資金の違法な処理、公共工事の口利
きなどの政治家をめぐる不正事件が、相次いで表面化しています。これらは、一
部の不届きな企業や個人による特異な事例でしょうか。
 (中略)
 法律が定める制度は、内容が社会の実情に適合し、個人や企業の側に法律を順
守する意識が定着していれば、その機能が十分に発揮されます。この場
合、法律違反行為に対して、その程度と悪質性に応じた制裁を科すことが違反行
為を抑止し制度を健全に維持する上で大きな役割を果たします。
 しかし、従来のわが国のように、法律に基づかない行政指導によって個人や企
業の活動がコントロールされ、非公式な話し合いによる解決が常態化している場
合には、法律で定める制度は、しばしば社会の実態と乖離し、違法行為が常態
化することになります。そこでは、法律に基づく制裁を科することで法律順守を
確保するという手法は用いられず、法律に定められた罰則が実際に適用されるこ
ともほとんどありません。ところが、たまたま内部告発などで違法行為が表面
化すると、行為者や企業に対して厳しい社会的非難が浴びせられ、ここぞとばか
りに刑事罰などの制裁が科されることになります。
 しかし、それだけでは本当の問題の解決にはなりません。それ以上に重要なこ
とは、法律が十分に機能していないという現実とその背景となっている構造的
要因をどのようにして是正するかです。》
 この文章の中で指摘している「法治国家ではない日本」の実情は、その後も基
本的に変わっていません。
 変わっていないどころか、事態は一層深刻になっています。企業不祥事、官
庁不祥事などの違法行為の摘発は、その後もとどまるところを知らず、そのたび
に、新聞紙上で持ち出される言葉が、「法令遵守」という意味で語られる「コン
プライアンス」です。
 不祥事を起こした企業、官庁の謝罪会見の決まり文句は「法令遵守が不十分
だった。コンプライアンスの徹底を図りたい」。コンプライアンス確立のために
コストを惜しんではならないというのは、今や経営の常識です。コンプライアン
スに関するセミナーが各地・各所で行なわれ、コンプライアンス確立のためのコ
ンサルティング会社は大盛況です。
 その一方で、法令と実態の乖離という問題が解消されたかと言うと、決してそ
うではありません。本書で詳しく述べていきますが、公共調達をめぐる談合問
題、ライブドア・村上ファンド事件、耐震強度偽装事件など、最近社会問題と
なった経済事件の多くは、何らかの形で法令やその運用が経済実態と乖離してい
ることが背景になっています。それにもかかわらず、単純な「法令遵守」のひ
と言で問題を片付けてしまおうとすることで、問題が解決するどころか、一層深
刻な事態を招いているのです。
 このように法令やその運用と経済実態との乖離が一層深刻な状況になっている
背景には、国家公務員倫理法などの影響で、法令の作成や執行を行なう官庁の公
務員と民間人との接触が少なくなり、官庁側の認識が経済社会の実情とズレてし
まっているという現実があります。
 そして、そのようなズレを是正することができず、それを一層ひどくしてしま
うのが、官庁発表報道、「法令遵守的報道」をたれ流す御用マスコミの存在で
す。官庁とマスコミが結びついた圧倒的なプレッシャーの下では、企業側には、
単純に法令遵守を行なうことしか選択肢はないように思えます。
 こうして世の中が「法令遵守」に埋め尽くされる状況の中で、多くの賢明な
組織人達は、法令遵守という意味のコンプライアンスが、多くの弊害をもたらし
ていることに気づき始めています。抽象的に法令遵守を宣言し、社員に厳命する
だけの経営者の動機が、命令に反して社員が行なった違法行為が発覚した場合の
「言い訳」を用意しておくことに過ぎないこと、法令遵守によって組織内に
は違法リスクを恐れて新たな試みを敬遠する「事なかれ主義」が蔓延し、モチ
ベーションを低下させ、組織内に閉塞感を漂わせる結果に
なっていることを感じています。
 しかし、そのことを表立って口にする者はほとんどいません。法治国家におい
ては法令遵守は当然のことであり、それを意味するコンプライアンスに異を唱え
ることは、法治国家の国民にあるまじき言動と軽蔑されるのが怖いからです。
 日本は、決して無法国家ではありません。明治期以降、欧米から近代法が
輸入され、大陸法と英米法が混合した精緻な法体系が確立された「法令国家」で
す。しかし、戦後の経済復興、高度成長を支えた官僚統制的経済体制の下で
の法令は、現行憲法下での天皇と同様に「象徴としての存在」にとどまり、そ
の間、市民社会、経済社会における現実の機能は限られたものでしかありません
でした。それが、日本が本当の意味の法治国家となり得ない要因となったので
す。
 日本は、戦争による経済の崩壊の危機から僅か四半世紀余りで、世界第2位の
経済大国へと奇跡の経済復興を遂げました。しかし、それを支えてきた官僚統制
的経済は、一方で「市民社会・経済社会と法令との乖離」「法令と実態の乖離」
という副産物を生じさせました。それが「非法治国家たる法令国家」という、他
にはほとんど例がないであろう奇妙な組合せを生じさせたのです。
 このような状況の下で、「法令を守れば良い」「法令にしたがって物事の是非
を判断すれば良い」という、通常の法治国家においては当然の法令遵守を単純に
推し進めていけば、社会の混乱と矛盾が極限に達することは確実です。その結果
もたらされる国家の衰退は、第二次世界大戦後の奇跡の経済復興と同程度に、歴
史上稀な出来事として後世に語り継がれることになるかも知れません。
 
 今こそ、日本社会における法令の位置づけとそれを遵守することの意味を根本
から問い直し、真の法治国家を実現するための方策を真剣に考えなければいけま
せん。本書では、法令をただ漫然と遵守すれば良いという「法令遵守」が弊害を
もたらしている事例を取り上げ、それが官庁やマスコミの考え方や行動とどのよ
うに結びついているのか、私たちはそれに対してどうしていったら良いのかを
考えてみたいと思います。
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