人間の生死について、所詮は禅にとらわれているのではないのか?
著者は香山リカさんとの対談の中で人間が死ぬとき不可解な現象もあるらしい事も書いているが
所詮は唯物論者なのだろう。唯物論者に死ぬときに、知識や経験も手放していくとか知ったりで
話して欲しくはない。どうせ死ぬ人間にとっては知識もエゴなのか?それならば、究極の記憶を
要求される医師の知識も所詮は人間のエゴなのか?
日本では仏教徒は9000万人いるとWikiで書いてあるが、それは、死んで墓にはいる時に
しかたなく仏教に入るだけで、仏教の死んだら無になるといった価値観を受け入れているわけで
はあるまい。
人間はなぜ勉強したり、研究したりするのか?それは、カルマを解消し、自分を高めるためとい
った考えをもっている人もいるだろう。それを単なる禅僧に死んだら生前の知識は無になるなど
と思われて、みとられるとするのは、究極の迷惑だ。人間にとってエゴといえば、知識や地位よ
り最大なのはお金である。著者の出身医大はストレートで卒業できても学費は4900万円を超
す。どのように授業料を調達したかわからぬが、それ自体が禅僧と相容れぬのではないのか?
死ぬ事を禅ごときで語らないで欲しい。戦争中にお国のために死ね!家族の事など残された人の
事など考えるなと言っているのと変わらない。
著者は瞑想のプロセスで死へのプロセスでも体感したのかもしれないが、人を死へとエスコート
するにはまだ人間として経験不足と思う。