本書はNHKのDVDブック『
だから失敗は起こる』を底本にし、主に今回の震災にあたり東北の津波対策を検証したものである。東電福島原発事故については本書では触れていないが、著者が事故調の委員長である以上に、現在進行中の事故であり、扱っていないのは当然である。結論から述べると、専門家のお墨付きということによるタイトルの独り歩きを強く恐れるので、本書を読むことはお勧めできない。
「想定外」という言葉には、二通りの意味があると評者は考えている。
一つは「想定できなかったこと」であり、いま一つは「想定範囲から外したこと」である。
したがって、設計工学的には、タイトルの文章は以下の4通りに解釈できてしまう。
[1]設計者が想定範囲から外したことを、運用者は想定すべき
→これは理屈の上では可能だろう。
[2]設計者が想定できなかったことを、運用者は想定すべき
→これは想定外の事象が起きた時にどう対応するべきか(報道発表含む)という、別の話である。
[3]設計者が想定範囲から外したことを、設計者は想定すべき
→これは、どれだけ、金をかけられるかということだが、どこかで線引きしなければ設計できない。
(「ここまでは耐えられる」というのは、「それ以上に耐えられる保証はない」ということである)
[4]設計者が想定できなかったことを、設計者は想定すべき
→大半の人がこのように誤って解釈することを、評者は非常に強く危惧する。が、人間は万能神ではない。想定できないものを想定する科学的方法は、この世に存在しない。しかしながら、本書のタイトルが、「想定外なんてありえない。東電の責任を徹底追及すべき」といった、工学音痴な〈有識者〉の脊髄反射を担保する材料になりかねない。実際著者も、「まるで自分たちが被害者であるかのような言い方をしているのは奇異であり、責任逃れの発言にしか聞こえません」(30p)と批判している。
だが、著者はこのような本書の“リスク”を考えていないようである。「想定」が必要なのは「設計するにあたり、考える範囲を設定するため」(12〜14p)でもあるが、それ以上に、人間社会の資源は稀少であり、建築主体が国だろうと民間だろうと、どこかで「想定の範囲」を区切らないといけないからである。絶対の安全(安全神話)など“科学”の世界では存在しえないのだから、
リスクのモノサシに基づいて設計限界(想定範囲)を設けない限り、安全コストは無限大に発散してしまう。
本書でいう「想定外を想定する」とは、「行政のハザードマップを市民は無条件には信じず、自分で考えて行動するよう訓練せよ」という意味のようである(119p)。だから、「ありうることは起きる」(38p)から「「想定外」を想定せよ!(ありうべきこと/過去の失敗が、忘却されないようにすべき)」(第4章)、という論理展開になる。
組織の危機管理入門レベルの学識経験しかない評者が、“失敗学”の第一人者である著者を批判するのは気が引ける。しかしながら、本書は上記のような誤解を生みかねない。“失敗学”の観点で今回の震災を検証したければ、まず、
著者の代表作(『失敗学のすすめ』)を読まれることを強く推奨します。福島原発事故については、想定外(設計の妥当性)云々よりも、事故発生後のリスクコミュケーションの問題(「想定外」という言葉の使用を含めた、報道発表などの検証)などが大きいだろう。こちらは、
『「危機管理・記者会見」のノウハウ―東日本大震災・政変・スキャンダルをいかに乗り越えるか』(佐々淳行)が参考になるでしょう。
「釜石の奇跡」についての著者の実証は、釜石を襲った今回の津波が4メートル“で済んだ”ゆえの結果論だと思うが、「想定外にはハード面の対策に加えて、ソフト面の対策(子供・大人の学習・教育)で備えるべし」という主張(第4章)には、”資源の有限性”という観点から全面的に賛同する。ゆえに★を1ではなく2にする。