情緒や身体というのは、哲学があまり扱わないテーマだが、それを敢えて取り上げようとしている。
私たちが「ことば」によって「社会」という関係世界を作っていることは、間違いないだろう。ただ、この関係世界を存続させているものが、「ことば」だけなのか、と言えば、違うような気がする。
「ことば」の外側にありながら、社会を社会たらしめているものは何か、という問いに身体や情緒という観点を据えるのが本書の議論だ。「ことば」を身体や情緒との関係から捉え直す試みと言ってもよい。
身体を「意味」の体系として捉えることは、メルロポンティをはじめ多くの識者がすでに論じているが、ここでも身体や情緒を「意味」を読み解くキーとして用いている。
「意味」を言語の内部でのみ考えようとすると限界があって、言語をはみ出たところにあるものとしての「意味」をどう捉えるか、が問題になる。
このことは、私たちが「ことば」によって関係を生み出し、「ことば」によって思考することの制約や限界を考えることにもつながる。
「エロス」は、哲学にふさわしいテーマかもしれないが、エロスや性愛を身体との関係で捉え、「恋する身体」として扱おうとする試みは、あまり哲学的ではない。フロイトの限界や問題点にも言及しながら、情緒や身体を哲学しようとしている。