感想から初めに述べると、私は人文書院でウェブサイトで連載されていた本書のもととなる原稿を全て読んでいた。そのとき、興奮して読んだ。面白かった。
その後、本書が出版されたことをキャッチした私は、購入してもう一度すべて読んだ。同じ内容を二度読んで興奮を覚えることはそんなにない。読むまえの期待値は、どこが変更になったのかなという程度で、決して高くはなかった。しかし、読んでみるとあっと言う間に読み終え、興奮と快感を前回と同じ、いや構成が良くなったためか前回以上に感じた。
それは私が政治や経済、歴史への関心が人より大きいという理由だけでは決して説明できない。むしろ本書の問題設定が実にアクチュアルで、内容が論理的かつ網羅的になっていることに求められると考える。
本書は、システム(=壁)と個人(=卵)の関係から、中国の経済問題や社会問題を論じている。
例えば、欧米の大学では中国などの途上国での過酷な労働条件の改善を求めてその企業の商品の不買運動を学生が展開することがある。それは搾取は悪いことであるという正義の理念(=システム)に支えられている。しかし、日本の学生(本書で紹介されているのが日本であり、欧米にもいるかもしれない)の中には中国のそのような企業の工場にインターシップという形でおもむき、実際に中国の労働者と一緒に労働をするものがいる。
彼らの感想は過酷な労働条件の告発ではなく、「むしろ、厳しい条件でも希望を失わずに労働に従事する女工たちへの共感をつづったり、彼女たちと同じ現場にたって労働に参加することで「人間性が鍛えられた」ことに感謝したり」(34頁)といった内容である。現場(=個人)での交流では不買運動よりも、人間的な成長など、より生産的な関係がもたらされる。
上述の欧米の学生のように、理念(=システム)が先行して現場(=個人)を重視しない姿勢を私たちは普段の生活において無意識に使っていることがある。例えば本書で紹介されている中国産野菜への嫌悪感はその代表例だ。
本書では村上春樹を引き合いにだしながら、「我々がそれ(=システム)をつくった」ことを強調し、それが変更可能であることを強調する。
しかし、私たちが変更したシステムだとしても、それがまた私たち個人に有害な影響を与える可能性はないかという点について、心配になるのもまた事実である。そうすると、そんなに問題が多いシステムはなぜ存在するのか、という問いが当然生まれるが、もちろん本書の論点ではないので本書ではそれに対する答えは用意されていない。しかし、本書は、私たちがシステムと向き合うとき、それがなぜ存在するのか、個人とはどう関係しているのか考えたほうがよい、つまり、そのほうがより合理的な行動をとることができることを私たちに教えてくれる好著だと私は言いたい。
本書に問題があるとすれば、すこし文章がかたいかな、という程度であることを指摘して、このレビューを終わりたい。