明治以降、日本が戦った戦争を、曇りない目で根本から総括し直すことが大切であるとする著者は「目が覚めるような歴史の見方を提示したい」と言う。
司馬史観で描かれた『坂の上の雲』を本書はどう評価しているかを見てみよう。
旅順攻撃の誤りを乃木将軍の戦術に責任転嫁するのは、牽強付会というものであるとする。乃木の精神的な資質に対して評価しておらず、司馬は「むしろ軽蔑と揶揄の対象としている」と著者はみなしている。「一兵卒に至るまで奮い立たせた」のが乃木の器量であったと肩を持つ著者である。この小説の旅順攻防戦のくだりで、児玉源太郎にしみじみと吐かせている「乃木は専門家に呑まれとったのじゃ」という台詞は、作者の想像であり、そういう虚像と実像とは区別しなければならないと著者は言う。
また、昭和の破滅の原因を陸軍のエリート軍人に帰するものとする。あの時代を体感した人間にとって、権威の否定に傾くのは当然であろう。「明治はよかったが、昭和になってだめになった」と司馬のよく口にした言葉がある。著者は、東京裁判史観の呪いから自由になることが第一であると言っている。一つの史観のみにとらわれず、著者に言わせると「曇りない目」でもう一度自らの国の歴史を「巨視的に」とらえようではないかと訴えている。
著者は「歴史の真実」を重んずるあまり、文学の「虚実のはざまにある真実」を二義的に見ている節がある(雅)