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仮に、彼らの言う通り『同和利権の真相』シリーズの著者グループが部落民に対する憎悪・差別感情からこの本を書いたとしよう。しかし、それでも「同和行政の中で、利権あさりや暴力はあったかどうか、あったとすればどのように対処してきたか」という論点とは直接関係ない。『真相』シリーズの批判が「デマ」だとすればどこがどのようにデタラメか、具体的に反証すればいいのだ。
もし本当にデタラメだらけの差別キャンペーンであれば、「ここは事実に反する」という指摘だけで否定できる。本書における「差別者」のレッテル張りの多用は、実際にはそれができないものだから、代償行為としてイメージ操作戦略に出たというだけのことだろう。
その中で、見開き2ページを使って『真相2』における写真のキャプションミスを取り上げ、鬼の首を取ったように厳しく批判していたのが目を引いた。しかし、これは先に出された部落解放同盟の「『同和利権の真相』への見解」で指摘された直後に、著者本人も認めて増刷分や文庫版からは削除しているので、もはや批判としての効力を持たなくなっているのが残念だ。
「同和利権の真相」シリーズとこの反論を読んで、なぜ同和問題の解決に支持と関心が集まらないのかよくわかった。観客を全く想起しない舞台で繰り広げられる内ゲバに、誰が関心を持つというのだろうか。
呉と対談したインタビュアーが差別を行動に移すだけではなく、「差別を内心で思うだけで悪」と述べている件で、背筋が凍った。同和差別をなくすには、矛盾を抱える人間性を否定し、差別を思う心を捨てきらないといけないらしい。目的は異なるが、どこかのカルト宗教が同じようなことを謳っているのと同じだ。
まともなのは対談で出演している呉智英だけで、「清潔主義では社会では通じない。人間の清濁を伴わせて差別に対応しないと駄目」だし、「差別のない社会はありえない」からこそ「大多数にどのように訴えて改善していく」のかを考えるべきだと述べていた。
それ以外の執筆者には、胡散臭さと違和感を感じずにはいられない。
宮崎学の著作を読んだことがわからないが、「利権はやがて特権になる」のだから、「被差別者が特権を持つのは当然」で「何が悪い」と居直る彼は太鼓持ちライターという位置づけでいいのだろうか?もっとも、クライアントの要求に応えるのが仕事という点では、満点なのだろうが…。
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