写楽の正体は斎藤十郎兵衛で決まりと思っていたら、待ったをかけた本が出てきたので興味をそそられた。
読んでみて、いくつか疑問点が出てきたので、上げてみると、
まず、どうして北斎は自分の正体を隠して写楽を名乗ったのか、ということである。
北斎が画号をよく変えたことは周知の通りなので、写楽と名前を変えてもおかしくはないが、それまで勝川春朗という名前で役者絵を描いていたことの延長なので、別に正体を隠す必要はないのではないかと、素人の私などはつい考えてしまう。
それに対して先生は、
「写楽のあまりに『真を描かんとした』表現が、役者の深い恨みを買ったからだ」
と推測している。
つまり、第一期の大首絵を刊行したところ、役者たちが激怒したので別人になりすました、というもの。
ということは、第一期では正体を隠す気はなかったが、第二期から隠した、ということになる。
先生は、北斎(春朗)と写楽の落款の違いに触れて、
北斎は「画」という字の中の由をほとんど申にしているのに対して、写楽はすべて田にしており、字体の違いを認めている。
そのわけは同一人物であることが分からないように意図的に変えた、と推測している。
となると、ここに矛盾が生じる。
写楽は第一期から田の字を使った「画」を使用しているので、北斎は最初から正体を隠そうとしていたことになる。
役者から深い恨みを買う前に。
つまり先生の説に従うと、
北斎は、こんなふうに大首絵を描けば役者から恨みを買うかもしれないと危惧したため、最初から正体を隠そうとした、とするのが正確だろう。
こう書けば、矛盾はなくなる。
次に、先生は春朗(北斎)と写楽の絵が似ていることを取り上げて、同一人物と見なしたがっているようだが、よく考えてみてほしい。
絵の素人である斎藤某が役者絵を描きたくて勉強しようとした場合、どうするか。
普通に考えたら、世に出回っているプロの浮世絵師の描いた浮世絵を模写して勉強するだろう。春朗(北斎)の役者絵も当然写し取るだろう。
そうすると、ある程度似てしまうのは当然ではないだろうか。さらに言うと、自分ならもっとこうして似せてやるのにと考えて、春朗(北斎)の描いた絵を土台にすることだって十分に考えられる。
先生には、どうやらそんな考えはこれっぽっちもないようだ。
最後に、先生はギリシャで見つかった写楽の肉筆扇面画も、それ以前から写楽の肉筆画かもしれないと言われていた「老人図」扇面画も、どちらも栄松斎長喜の作であるとほぼ断定している。
栄松斎長喜は、五一本「浮世絵類考」の書き込みにある、「写楽は阿州侯の士にて、俗称を斎藤十郎兵衛といふよし」という発言をした人物である。
それについて先生は、「写楽が春朗=北斎であることを知っていた長喜が、健在の北斎の意思を慮って、そうした噂を振りまいた」と書いているが、どうして長喜は、実在の斎藤十郎兵衛を使ったのか、という疑問が湧く。
斎藤十郎兵衛は士分なので、もし浮世絵を描いていたとなるとお咎めを受けるかもしれない。
私が斎藤十郎兵衛なら、「誰だ、そんな根も葉もない噂を流したやつは」と怒り心頭に発するだろう。自分の身分にかかわることだからだ。
長喜も当然そういう噂が斎藤十郎兵衛を困らせることは分かっていたはずなのに。
斎藤十郎兵衛に恨みでもあったのかと思ってしまう。
普通に考えたら、どこかの町人、もしくは架空の人物にするのが当然だろう。
先生には、是非とも第二弾で、これらの疑問に応えていただきたいですね。
大勢に流されず、独自の説を貫こうとする先生の心意気に星二つ。