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5 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
世界史の構造をより深く理解するために・・,
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レビュー対象商品: 「世界史の構造」を読む (単行本)
世界史の構造を読んだ後にこの本を読むことをおススメします。はじめの章では柄谷さんが改めて世界史の構造を 4つの交換様式から解説してくれています。 別の章ではそれぞれの識者の見解と柄谷さんが意見を 交えながら、世界史の構造についてより理解が深められます。 世界共和国を実現するために、日本が果たせる役割等 考えさせられました。 交換様式という考え方が斬新で、現在の世界の動きにも 当てはめて考えてみるとまた別の世界が見えてくると思います。 私にとっては世界史の構造は決して分かりやすいものではなかったですが この本を読んで多少理解を深めることができたと思います。
2 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
「世界史の構造」への最良のガイドブックである,
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レビュー対象商品: 「世界史の構造」を読む (単行本)
「世界史の構造」(岩波書店、2011年)で、思想界に強く、深いインパクトを与えた著者による、本書は最良のガイドブックである。「世界史の構造」で触れられなかった内容が書下ろしで補足され、また、多彩な論者たちとの座談会で、キーとなる論点が深められている。したがって、本書は「世界史の構造」の後に読むのが順当だが、本書の後で「世界史の構造」を読み、本書と行き来するというやり方もあるかもしれない。「世界史の構造」が思想書として突出しているのは、シンプルで強固なモデルと、それに基づくケーススタディである。モデルというのは、交換様式を4種類(A=互酬、B=略取と再分配、C=商品交換、D=X(Aの高次元での回復))に分類し、2×2のMECE(Mutually Exclusive Collectively Exhaustive)マトリックスで表現したものである。このモデルを用いて歴史が読み解かれ、将来の見通しが論じられることで、思想書としては例外的に分かり易く、説得力のある本となった。「世界史の構造」が英訳され、世界各国の知識人(特に、マルクスにある程度理解のある人々)に読まれているのも当然という気がする。 本書では、「世界史の構造」が実践に向けて更に一歩進められている。著者が主張する、資本=ネーション=国家を乗り越えるための「世界同時革命」の実現のため、日本の憲法第九条を実行することを世界に向け宣言し、実行する、というものである。国粋主義者が眼を剥きそうな主張が、本書を読むことで、それほど空想的なものでなく、「ひょっとしたら・・・」という気にさえなってくる。 本書と「世界史の構造」を併せて読むことで、世界史の過去や現在、そして将来の見方が驚くほど透明になる。凡百の「思想書」にあきたらず、思想書とは難しくて役に立たないもの、と信じている人の考え方を一変させる、そのような本である。著者の対談相手である佐藤優氏が、国会内で「世界史の構造」を読む読書会が行われていることに触れている。ごく一部ではあろうが、政治家達にも影響を与えつつあるとのことである。日本人の考え方を変えていくプロセスが、見えないところで始まっているのかもしれない。
41 人中、24人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
預言者は行動する,
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レビュー対象商品: 「世界史の構造」を読む (単行本)
預言者というのは予言者とは全く異なる。不都合なことに発音が同じで漢字も似ているので、両者の違いを意識する機会が日本人には限られてしまっている気がする。これは不運としか言いようがない。この書の次のような指摘を読むとやはり驚いてしまうのだから。〈一般に、ユダヤに始る宗教は預言者によるもので、アジアの宗教はそうでないといわれます。しかし、ウエーバーは、ブッダや老子、孔子なども預言者だ、というのです。 彼は預言者を、倫理的預言者と模範的預言者の二つに分けました。前者の場合、預言者は旧約聖書の預言者やイエスあるいはムハンマドのように、神の委託を受けてその意志を告知する媒介者です。後者の場合、預言者は模範的な人間であり、自らの範例を通して他の人々に宗教的な救いへの道を指し示す。つまり、ウェーバーは、通常預言者と見なされていない思想家を預言者と見なすことによって、従来の世界宗教の区分を廃棄したのです。〉(第1部 II 哲学の起源) だが、この引用に続く部分には驚くだけではすまされない。まったく新しい考えが初めて提唱され、承認を迫っているのだから。自分は説得されてしまった。 〈同様に、私は普遍宗教と哲学の区別を廃棄すべきと思います。たとえば、ブッダや老子、孔子などはもともと宗教家ではありません。彼らは、インドや中国の、多くの都市国家が林立する中で活動した自由思想家なのです。それは古代ギリシアにおいて、数多くの都市国家から出てきた自由思想家と共通しており、しかも同時代的である。後にブッダは仏教、老子は道教、孔子は儒教の教祖と見なされていますが、彼らはギリシアにおいて「思想家」と呼ばれた人たちと、そんなに違いません。〉(同上) 予言者は知的に優れているのかもしれないが、自ら行動する者ではない。(競馬の予想師と同じ感じだ)しかし哲学者は、そのような者たちではない。ソクラテスがダイモンの声に従ったように、なんらかの〈委託を受けてその意志を告知する媒介者〉、すなわち預言者なのだ。今、デモに参加する人々、被災地に赴くボランティアの人々は、やはり預言者なのではないかという気がする。世の中が、世界が流動的になってきているという予感があるが、これは予言者には預かり知らぬことだろう。
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