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5つ星のうち 3.0
アジアへのまなざしを問う,
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レビュー対象商品: 「アジア」はどう語られてきたか―近代日本のオリエンタリズム (単行本)
近代以降、日本の知識人のアジアに対する態度は、「無視する」か、その「後進性」「異質性」を強調するか、そうでなければ独善的な「アジア主義」におぼれるか、といったものだった。それらの態度は、アジアを否定的に眺めることで日本の優位性を確認する、と言う点で共通しており、特に戦前においては日本のアジア侵略を思想的に正当化する役割を担うことにもなった。子安さんによれば、そんな日本の知識人の態度は現在に至っても基本的に変わっていない。かくして彼の批判の矛先は、西尾幹二の『国民の歴史』はもちろんのこと、晩年に「東亜新体制論」を提唱した廣松渉など、必ずしも右派ではない知識人たちの言説にも向けられる。それに対して彼が推奨する態度は、「アジアの知識人の言うことに謙虚に耳を傾け、彼らから多くのことを学ぼう」という点に尽きるだろう。実際、彼の言説は、日本の雑誌でも時々紹介されている、アジアのポストモダニストらの主張と大きく共鳴し合っている ただ、気になるのは、全体のトーンににいかにも「文化左翼」の人らしいバイアスが見られる点だ。具体的に言うと、一つには日本とアジアの間に横たわる現実的な側面、特に経済の論理を軽視する傾向がみられることだ。例えば、現在日本の中では中国に対して否定的な印象を持つ人々が急速に増えつつある。それは第一に、経済的な面で交流が増えビジネスマンを中心に両者の「異質性」に否応なく直面せざるをえない人々が増えたからだろう。それに対して「異質性を強調するな、対話しろ」という子安さんの立場は、困難な現実に切り込むだけの力を持っているとは思えない。 もう一つの問題は、日本の現実や知識人の言説へは厳しい目を向ける反面、アジアの知識人に対する視点が甘くなることがあるんじゃないか、という点だ。例えば中国を例にとってみても、欧米モデルを用いて自国の後進性に警鐘を鳴らす人々、それに対抗してナショナリスティックに感情論を展開する人々、黙って実証研究に打ち込む人々などいろいろな立場の知識人がいて、その実態は日本と余り変わらないんじゃないかと思う。そんな状況を踏まえて、耳を傾けるべき点は傾け批判すべき点は批判するのがまっとうな付き合い方だと思うんだけど。
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