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8 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
読みやすい!、解りやすい!、ためになる!、経済学の本,
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レビュー対象商品: 「はだかの王様」の経済学 (単行本)
「人々がお互いのホンネを理解しあうことができないときに、誰のホンネからも遊離した思いこみに、みんなが縛られることになってしまうp.19」こうして「観念がひとり立ちしてしまうp.20」。こうして、「頭の中の観念が人間から勝手に離れてひとり立ちし、生身の人間を縛りつけて個々人の血の通ったくらしの都合を犠牲にしてしまうp.64」疎外が生まれてくる。労働においてこそ、「社会性共同性や理性の側面p.86」「人間の本質」が発揮p.86」されているはずなのに、「労働は外からの強制だし、労働の産物も自分のものではありません。・・自分のものとして自由にコントロールできない「よそもの」になってしまっていp.86」る労働疎外が生じる。 「互いのニーズが把握できていない中で、生産者各自が見込みの判断で生産しなければならないからこそ貨幣が必要になったp.42」ことから、「生産物を貨幣と交換できたことが、自分の労働の社会的有用性を、あとから証明することp.117」になり「生身の人間がモノである貨幣にひれ伏し、・・貨幣を手に入れようと、必死に駆けまわることになります。p.118」 観念のひとり立ちにより、弊害のある仕組みから人々が脱することができなくなることは、ゲーム理論によっても「パレート劣位なナッシュ均衡が選ばれて、そこから逸脱できなくなるp.75」ケースとして説明できる。 こうした疎外による社会の弊害を改革していくには、「メンバー対等なアメーバ式事業体や、ニーズに基づく注文生産のネットワークを、民衆が自分たちで意識的に作りだしていこう。そのことによって、社会的依存関係を、関係者たちみんなの合意でコントロールし、ひとり歩きさせないようにする。そのような疎外なき人間関係を自分たちの身の回りから作りだして、ひろげていこうということp.265」が必要である。市民参加のまちづくりはその第一歩である。 このような形で、マルクスを中心に用いた分析により、市民主体の社会改革ビジョンを描いている。「根本的に社会を変えていくには、一人一人が主体的につながっていくしかない」という市民運動家の直感的な「思い」に学問的にしっかり基礎付けをしたという点で画期的な本である。 また、現実に起きているマルクス主義の弊害事例を次から次へと取り上げ、それをマルクスそのものの考え方に従ってばっさばっさと斬ってしまう「マルクスによるマルクス主義の批判」が小気味良い。なおかつマルクスについても、「政権をとって、いったん企業を国有化して、国家権力を使って上から社会をp.241作りかえていくという方法を目指したp.242」という点については、「上部構造が土台を変える!まったく唯物史観とは逆p.246」とその矛盾を指摘する。マルクスにとらわれないマルクス経済のあり方も示していておもしろい。
13 人中、8人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
マルクス「疎外」論で解く社会,
By 九月 - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 「はだかの王様」の経済学 (単行本)
マルクス経済学学者である著者が 標題にもあげられている「はだかの王様」をはじめ 身近な話題や有名な史実を例にあげながら 社会制度を、マルクスの疎外論で解き明かそうとした本。 人々の通念が一人歩きし、やがて人々を害する存在となるという「疎外」。 久留米市の市民講座事業での講義がもとになっているためか、 卑近なエピソードが多くもりこまれ、文章も読みやすかったです。 現代の人々のあり方に不安を覚えたことが契機となって書かれた本だけに 著者の社会への理想の言及も多く、特に後半は 経済論というよりも、社会哲学の雰囲気もありましたが、 社会系新書に似た軽めの内容で、とっつきやすくてよかったです。
50 人中、30人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
裸の王様は自分じゃないの?,
By 則天去私 (大阪府) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 「はだかの王様」の経済学 (単行本)
王様はハダカというより、松尾の論理の方がスッパダカではないのか?今どき著者は、商品も貨幣も資本も、階級も搾取も国家も、すべてが人間疎外の産物だというアナクロな主張をする。じゃあ、疎外されない裸の「人間の本質」とか「本来あるべき人間」って、どっかにあるのかい?そういう普遍的で絶対的な真理を初めに前提とする疎外論が、既に破綻した古い形而上学だということは、もうとっくに決着がついてる。 著者は初期マルクスの疎外論という単純な図式を「資本論」に当てはめて、労働の搾取という置塩の「基本定理」が説明できるという。そのうえ新古典派のゲーム理論まで疎外論の応用だと言い張る。弁証法論理と形式論理の違いを無視すれば、そりゃそうだね。方法論的個人主義で合理的「人間」というフィクションを出発点にする点は同じかも。 本書の結論は、パレート最適でナッシュ均衡への合理的進歩がそのまま唯物史観で、今の市場原理主義的なグローバリゼーションこそが歴史の発展で、人類は、搾取も抑圧も格差も環境破壊もない自由な個人のアソシエーションに向かって進歩していくべきだというものである。古臭いリベラリズムやヒューマニズムと結局どこがちがうの? こうした松尾と対極的な位置にあるマルクスの理解として、例えば青木孝平の『コミュニタリアン・マルクス』がある。青木は、疎外論を否定して、唯物史観も弁証法も労働価値説も搾取論も完全に失効したと宣告する。規範理論としても松尾やアナマルのアソシエーショニズムを批判して、関係の第一次性に立ったコミュニタリアニズムを提起している。本書の読者は、こうした批判的書物にも誠実に目を通すべきだ。
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