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9 人中、8人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
現在につながる80年代問題の解読,
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レビュー対象商品: 「おたく」の精神史―一九八〇年代論 (朝日文庫 お 49-3) (文庫)
平仮名の「おたく」は今や片仮名の「オタク」に置き換えられ、村上隆を代表とする現代美術やジャパニメーションとして世界的なビジネスの成功をみている。だが著者がこだわるのは「オタク」ではなく「おたく」だ。1983年に発見された「おたく」と、それに関連した80年代的な諸問題は確実に現在の地平につながっている。80年代を語ることは懐古ではなく現代を読み解くことでもある、というのが著者のスタンスなのだと思う。一方で著者は80年代は「一つの隘路」だったと語る。その意味は?ニューアカ、ロリコンまんが、フェミニズム、黒木香、糸井重里、新人類、宮崎勤、岡田有希子、都市伝説、UWF......本の腰巻に羅列された80年代のキーワードを懐かしくも、とても恥ずかしいものとして感じてしまうのはなぜだろう。当時かっこいい、画期的だと思っていた事は、90年代に入るとともにひとつずつその意味合いを反転させていき、現在ではまったく異なった意味に変容してしまった。本書の例を取れば、“団塊世代が主導した消費による階級闘争”。結局それは、1つの価値基準によるタテ関係の「階級」をフラットにした変わりに、ヨコナラビの差異による(努力しても上には行けない)セグメントされた「階層(クラス)」を生むことになった。また、語る内容とは裏腹にニューアカ>新人類>おたくのヒエラルキーを頭に描き、差異化ゲームの勝利者となるべく上昇志向を隠さなかった新人類の存在も今となっては悲しい。この本にはあまりに多くの問題が詰まっているが、80年代に主体的に関わった著者が、彼の資質である“いさぎよさ”と彼の才能である“レトリカルな文章”でまとめあげている。新書にしてはボリュームがあるが一気に読ませる内容である。
4 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
自伝込みだが論旨は追いやすい,
By pp-tang (東京都) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 「おたく」の精神史 一九八〇年代論 (新書)
おたく論というより、おたくとその周辺の事象を手がかりに1980年代を論じた本。キーワードは、おたく、新人類、岡田有希子、エロ本、宮崎勤、黒木香、ディズニーランド、ガンダム、ビックリマン、プロレス、昭和天皇、オウムなど。著者の多彩な論述からうかぶ1980年代とは、(1)虚構への志向が強く、事物が記号・虚構・情報のレベルに把握されがちな時代、(2)他者をも記号で把捉するがゆえ、他者における他者性が不明瞭になり、時としてそれが抵抗として前景化した時代、といったものである。この状況は現在に至るまで基本的に変わっていない上、多様な変容を見せているように思える。(1)のこと。現実世界に左翼的な歴史像を描くのが困難となった埋め合わせに、人は歴史外に大きな物語を求めた。例えばガンダムは虚構でありながら、その内部では整合的な歴史を備えており、虚構世界に現実世界と同じ秩序をみるおたくの志向に適うものだった。個々の作品(商品)の背後に大きな物語を見る「物語消費」という形をとることもあった(ビックリマンやエヴァなど)。ディズニーランドは、現実と完全分離した、虚構が可視化した空間として受容された。著者は大きな物語は、以上のように虚構内に留まるべきものと考えるが、オウム的虚構の現実化や歴史のナショナリズム的読みなおしなどは、大きな物語を現実に求めなおした現れといえる。 (2)のこと。他者を他者性において見られなかった犯罪者として宮崎勤を論じてる(天皇の死と絡めて論じておりおもしろい)。 本書は著者の自伝としての側面も強く、そこはかなりディープな事実が満載であり、人によっては興味を持てない部分もあるだろうが、スキップしながら論旨を追うのはそう難しくない。第4部は十分な議論がなく説得力に欠けるが、第3部まではすぐれた指摘も多く目を開かされることも多い。
3 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
「大塚英志というおたく」の精神史,
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レビュー対象商品: 「おたく」の精神史 一九八〇年代論 (新書)
本書は筆者が大学を卒業し、出版社で編集者として過酷な労働(もしやワーキングプアの趨り?)を開始した80年代前半から、エヴァが流行り神戸で少年が狂った時期までを押さえた論説集。自伝的であることを他のレビュアーの方々は批判的に解釈して いるが、そのことは大塚氏も十分に自覚的であり、筆者がそのような「主観的な方法をとったのは」、八〇年代という「隘路を 『他人事』として相対化したくな」かったからなのだ(「あとがき」より)。 確かに、論文などへの引用には不向きな著作ではあるが、それでもサブカルチャー全般とそれ以外のいくつかに対する筆者の経験と、 あまりある知識によってそれをフォローする著述は、八〇年代論を格上で必須の参考文献にはなりうるだろう。 ただ一つ残念なのは、最後の最後で時代を「宮崎勤」で語ってしまったことである。 評論家は、八〇年代という一つの時代を象徴的な何かや誰かで象徴的に語りたくなる「誘惑」に見舞われるが、それは 振り払うべきものではないだろうか。 「宮崎勤」や「酒鬼薔薇」の事件は確かにエポックメイキングな出来事ではある。しかし当たり前のことではあるが、 当時彼らが事件を起こしている間にも、「宮崎勤」にも「酒鬼薔薇」にもならなかった(なれなかった?)人たちが 生きていたのである。むしろそちらの方が多数派だ。 それをある一人のマイノリティーで語ること。 それは宮台真司が「ブルセラ少女は私たちだ」と語ったことと同じように、一つの「横暴」ではないだろうか。
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