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「論理」なき「金太郎飴」から「論理」ある「金太郎飴」へ,
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レビュー対象商品: 「いい文章」ってなんだ? 入試作文・小論文の思想 (ちくま新書) (新書)
「理」なる文字の由来は「玉」を磨きて「里」(すじみち)をつけること、その玉に光を宿し世界を明らめることにある。 「本書は、日本近代における文章評価の枠組みとその系譜をたどる。そうした遡及的な 試みを通して、文章を〈優/劣〉で評価するとはどういうことなのか、その評価は どのようなカラクリによって真実らしさを獲得しているのかを考える」。 明治期以来の作文教育から現代の小論文の作法まで、高等教育の論述試験における 「いい文章」のありようを探った一冊。 過去の膨大な出題パターンを分析する中から歴史的に系統立てたその作業については 一定の敬意に値するのだが、こと実際に筆者が採点者として直面させられている現代の 小論文事情や、それに対する提言となるといささか話が怪しくなってしまう。 「〈優/劣〉の評価が下される場面で生徒が『自分の思想』をさらけだす必要はないし、 それを問われる筋合いはない」という全き正論の数ページ後には、平然と「徹頭徹尾 その課題と格闘し、悪戦苦闘の痕跡をまざまざと見せつけ」ることを小論文の答案に 要求するなどという具合である。果たしてこの文脈における「自分の思想」は「悪戦苦闘の 痕跡」と限りなき同義語の関係には立たないのであろうか。 基本、筆者の批判は「金太郎飴」のような回答がその実「論理」の要件すら満たせて いないことに存しているはずなのに、いきなり「オリジナリティ」などという妄言に 飛躍してしまう。まともな「論理」を具備した人間が、同一の前提、条件の下で手際よく パズルを組み立てれば似たようなモデルに行きつくのなんて当然な訳で、そのような 高次の共通了解を可能にする作法として「論理」が要求されるべきなのである。多様性は そもそもの立ち位置の違いに依拠するのであって、「論理」の違いに属するものではない。 その限りで「論理」は多様性を制約するどころか、それを担保する材料となる。 「論理」なき多様性など、単に馬鹿の戯言に過ぎない。 小論文において問われるべきは、複数の立ち位置を成立させるための共通の「論理」。 つまり端的に言って、筆者の主張においても、あるいはこの世界においても、真に 目指されるべきは、「論理」なき「金太郎飴」から「論理」ある「金太郎飴」へのシフト。 それらを弁えずに「オリジナリティ」(笑)を求める受験生が、にもかかわらず「論理」を インストールできていなければ、安直な経験絶対主義に陥るのも当然で、欠落を補うべく せいぜいが退屈な固定観念と定石通りの模範解答を借用して筋道を装うよりない。 問題の構造が根本的に同様の間違いを催促しているのである。こうした批判は何も 大学受験に限らず、例えば旧司法試験の論述などでも語られていたこと。 しかし、「論理」なきバカが制度設計するが故に、この過ちを未だ修正できぬまま。 批判者も「論理」なきバカばかりのために、ゆとり批判のごとき恥をさらすこととなる。 およそ正しさなるものは合理性や合目的性に従って規定されるのだから、もしこの世に オリジナリティなんてものが存するとすれば、それは誤りのうちにのみ横たわる、とは 確かデリダの指摘だっただろうか、まこと正鵠を射た表現である。 人間性なんて妄言を語るのはもうやめて、互いの人格を道具としてのみ見做し合い、 世界を淡々とやり過ごすための基礎前提としての「論理」の重要性を説きつつも、 一方では筆者自身が混乱を来し、「論理」を実践できていない点に甚だ疑問が残る。 そしてその「論理」を覗き見したければ、例えば伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』や 野矢茂樹『論理トレーニング101題』でも読んでいた方がよいように思う。 あるいは三田紀房『ドラゴン桜』なんかもこの範疇だろうか。
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