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最も参考になったカスタマーレビュー
15 人中、13人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
<読むな>と言いたいわけではない,
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レビュー対象商品: 〈想像〉のレッスン NTT出版ライブラリーレゾナント015 (単行本(ソフトカバー))
鷲田清一の本を批判するのはとてもむずかしい。当代きっての人気哲学者であり、その人気の理由はこの散文詩のような文章だ。彼は政治性を内田樹のように隠したりはしない。その意味では正直とも言えるのだが、その文体は批判的に読もうという気を失わせる。そのまま受け入れると快く響くように書かれているのだ。そういう意味では彼の著書は内田とは逆にとてつもなく<権力的>とも言える。この本のメッセージを要約すれば次のようになる。「今の世の中、人間が人間らしさを失っているので、人間らしさを取り戻そうと特別な努力をしているひとの例を挙げました。」つまり、彼によれば、そのような努力をしていないふつうの人は「病んでいる」のだ。顔について書いた文章、「街には<いのち>を失った顔ばかりが氾濫している」これは現代人否定と読めるだろう。 現状肯定はできないのか。できないとしても、「アート」を演じたり、触れたりしなくても、「生」を取り戻す(鷲田の語法によればこうなろうが、単に生きる、でよいと思う)ことはできないのか。そういう<ふつうのひと>への呼びかけがない気がするのだ。この意味では、ブルセラ高校生を肯定した宮台真司は、個人的には大嫌いだけれども、その意気は大したものだと言わざるを得ない。 否定的に語られることのすくない鷲田だから、あえて批判的な読み方をお勧めしたいのだ。決して悪い本ではない。
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