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9 人中、9人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
てか、途中で「入門書」であることを投げたでしょ,
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レビュー対象商品: “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007 (PHP新書) (新書)
本書は主に八〇年代から九〇年代にかけて、思想界を席巻したポストモダン思想のアウトラインをなぞり、さらにこれからの問題に接続するという「入門書」である。「おわりに」で著者は自嘲気味に「著者個人の教養形成を(…)トレースする作業に重なってしまった」と白状しているが、そのことは読んでいて気にならない。むしろ、僕も含め多くの読者が、教授や浅田彰がオシャレな雑誌(そのほとんどはもう無くなっている)等でまだ盛んに発言していたころの時代の同時代性を手に入れることが不可能な中、こういった息づかいの聞こえてきそうな懐古は貴重にすら思える。 ただこの本が入門書としては、成功していないと断言したい。というのもまずこの本はいびつなのだ。浅田や柄谷行人から(あくまで『動物化するポストモダン』以前の)東浩紀へ行くのはわかるけれど、なぜかそこから社会の心理学化と社会学化への傾斜を批判しつつラカンの思想を解説したあとに、唐突に福田和也の解説を挟まる。とにかくいびつ。 ここらへん予め「ニッポンの」と領域を細かく区切って整理していた佐々木敦『ニッポンの思想』の方が一日の長があるが、あの本も新書で300ページ近くあったなぁ…。柄谷の限界を「外部」や「他者」と言うわりに自分自身はそれらと一向に出会ってないじゃないかと喝破したところは見事だったが。。 終盤に行くにつれて議論が拙速になり、特に終章のラカンの例のマトリックスの図は入門者で飲み込める人は皆無だろう。ここではスキゾ対動物と題しているが、要はこれが冒頭のレプリカント×マトリックスの対立にトレースされる。著者は、F・ジェイムソンのいう「反動のポストモダニズム」(≒動物=マトリックス)ではなく「抵抗のポストモダニズム」(≒スキゾ=レプリカント)の到来を待っているらしいのだけれど、その身振りはどうも遅れてきたモダニストのようにも見えるのは、気のせいだろうか?
22 人中、14人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
門外漢には少し難しかった,
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レビュー対象商品: “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007 (PHP新書) (新書)
フランスの現代思想に詳しい人にとってはとてもおもしろい本のようだ(他のレヴューが示しているように)。ただ私のような門外漢にとっては極端に難しい内容だった。何がテーマになっているのかさえ皆目見当がつかなかった。とっかかりを見つけようと何度も全体を見渡したが、唯一理解できたのは「明石屋さんま」をパロールに、「松本人志」をエクリチュールにたとえている箇所(50頁)である。全体の話の水準はこういうことだったのかと妙に関心してしまった。いずれにしてもフランス思想の入門書でないことだけは確かのようだ。
15 人中、9人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
ここから何を得るか,
By オベリスク (岐阜県各務原市) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007 (PHP新書) (新書)
時代区分としての「ポストモダン」と、或る時代のイデオロギーである「ポストモダニズム」を区別すべきだと言ったのは東浩紀であるが、その「ポストモダニズム」の日本における展開を追ったのが、本書であると云えるかも知れない。著者は序文で、ポストモダン思想には「重いもの」があった、いかに「重いもの」を復権しうるかを考えてみたい、と述べているが、それにも拘らず叙述はむしろ明快、いや、軽いとすらいいうるであろう。それは例えば、節のタイトルとして、「ファーストインパクトとしての浅田彰」「柄谷行人とシトたち」「セカンドインパクトとしての東浩紀」といった、ちょっと退いてしまうような命名がなされていることからも分かろう。また歴史的な記述についても中沢新一にほとんど言及がない点など、本書を読んでポストモダニズムの概略を知りたい向きにも、親切とはいえない。それに、将来に向けての展望も、それを望むのは酷かもしれないが、やはりないとしかいえない。それでは、本書から得たものは何もないか。東浩紀の難解な「否定神学」の概念についての明快な解説、これは個人的には得るところがあった。とにもかくにも、明快さは悪くないと思う。
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